第二十二章 SIDE:ロウ  覚悟


  第二十二章 SIDE:ロウ
  覚悟


 ――不意をつかれた。
 どさっと鈍い音を立て、横向きに崩れ落ちた身体。
 苦悶に歪む表情。その腹部には、ありえないはずの金属質なモノ。時間経過と共に流れ出す赤に生々しく濡れ、鈍い光を反射して――
「……ッ?!」
 絶句して固まる。事態を瞬時に理解する事は、出来なかった。
「う……嘘、セティなんで避けなかった?!」
 動揺した声でシエンが叫んでいる。
「……ひろ……と、し……、して……ッ……」
 途切れ途切れの声、とある一点を見つめる瞳。その先には、拉げた何かが転がっている。今まで彼女の額にあったもの、それがない。
「……もしかして、サークレット、……?」
 恐る恐る尋ねると、彼女の瞳は激しく潤む。確信とともに、喉を締め付けられるような息苦しさが込み上げた。
「なんで、お前……なんで、はぁ? コレの、――?!」
 言葉になりきれない声が上擦る。
 彼女の瞳からは、とうとう涙があふれてこぼれた。
「……ロ……ウ、ごめ……こわし、ちゃ、……ッ」
 それから先は言葉にすらならなかった。気管に血でも入り込んだのか、咳き込みはじめる。
「セティオ? ……、ちょ、待て? ……ッ、セティオ?!」
 更に動揺して名を呼んでも、返事はもう返ってこなかった。激しく咳き込み、咳き込み――やがて、すぅ、と息が抜けた。
 目を閉じる寸前、こちらの目を見ていた。
 声の消えた唇が何かを呟き、そのまま力が抜けた。かくんと頭が揺れ、――
「――」
 この光景は、何処か遠くの出来事なんだろうか。
 血の気が一気に引いて、……頭がグラグラする。
「か――、回復、ロウ、回復呪文を!」
 先に応急処置を開始したシエンに促され、強烈な眩暈に耐えながら彼女の身体を引き上げた。その身体は暖かいのに、力無くてひどく重い。背に当てた手の平に、ぬるりとした生暖かい何かが付着する。
「血」
 見れば、自分の服にもどんどん染み広がって行く。事態の重さに迫られて我を取り戻し、やっとの思いで治療を始める。
「セティ、セティ――!!」
 彼女の手を握り、呼び掛けるシエン。が、彼女から反応がかえってくる事はない。その喧噪で目を覚ましたのは、すっと気を失っていたアイリスの方だった。
「……うん」
「アイリス!」
 声に気付き、シエンはアイリスに振り向く。
「ぅ……私、――」
 痛むのか、頭を押さえながらそこまで話し、惨状を目の当たりにして表情を凍り付かせた。そして、その瞳を徐々に大きく見開いていく。
「あっ……あああ――ッ、なんて、こ……、こんな――セティオ?!」
 悲鳴を上げ真っ青になりながら、アイリスはセティオの側に這う。
「どうして、どうしてこんな?!」
「詳しい説明は後で、アイリス、君もセティの治療を」
「は、はい……ッ」
 シエンに言われ、彼女はガタガタ震えながらも呪文を始める。
「――深く傷付いたこの者に神のご加護を、癒しの祝福を……!」
 祈りと共に彼女の手は優しい白色の輝きを放ち、セティオへと向けられる。既にかけられていたロウの呪文と混ざったそれは、二重の光となって彼女の身体を包み込んでいった。
 二つの呪文で、腹部の傷はどんどん塞がり薄れていく――が。
 力無く閉じられた瞼は、どんなに待っても開かない。外傷は消えていくのに、感じられるはずのモノが一向に感じられなかった。
 自分のは、嫌になるくらい煩いのに。
 ある程度過ぎるまで続けて、……頭の片隅では既に、こんな呪文などもう無駄だと悟りはじめていた。
 傷があまりにも深すぎた。魂と身体を結ぶモノまで斬られたのかもしれない。そうだとすれば、最高回復呪文ベホマを二重がけにしてももう、届かない。
 ホイミ系は身体の傷を癒す事は出来ても、既に離れた魂を呼び戻す事などできないからだ。
 その事を、アイリスも悟りはじめているようだった。
「駄目なの――届かないの……ッ?」
 涙で顔を濡らしながら呻くも、アイリスは絶望を振払うように首を振る。
「セティ……ッ」
 セティオの手を握り祈り続けていたシエンの表情も、次第に悲愴な表情を浮かべ始める。
「――」
 身体が震えはじめた。彼女の身体じゃない。……自分の。
 こんなに呪文をかけ続けているのに反応が無い。身動き一つせず、音も出さず、――
鼓動も、呼吸も、何も。

「ククク……無駄だ。止まってしまった時を動かす事など、最早不可能。勇者は死んだのだ」

 声に、顔を上げた。
 ローブの隙間から覗くのは、笑みを浮かべた禍々しい色の眼。
「貴様――ッ」
 ぎり……ッと、歯ぎしりして前方を睨むシエン。わななく腕、拳を作り、衝動を必至に堪えている。
「……ッ!」
 絶望と憎悪で揺らめくアイリスの瞳。身体が小刻みに震えている。
 それらを満足そうに一瞥した後、視線を前方に向けた。
「これでもう、ゾーマ様を脅かす忌々しい勇者の存在は消えた。次は、メルキドの番」
「……?!」
 その発言に、呆然と座り込んでいたままの街長はがばっと顔を上げ、叫ぶ。
「な、約束が違う! その娘を差し出し、降伏すれば街は救ってくれると!」
 必至の形相を浮かべる姿に、アークマージは容赦なく残酷な言葉を口にする。
「本気で、そのような事が通るとでも思っていたのか」
「そんな――ッ!!」
「礼を言おう。存分に楽しませてもらったぞ? ククク……フフ……フハハハハッ!」
 絶望の声を上げる街長に声を上げて笑った後、高らかに号令をかける。
「さあ、今こそメルキドを陥落させる時だッ!」
 それに従い、控えていた魔物たちは奇声を上げながら進軍しはじめた。
「あんまりよ……こんなのあんまりだわぁッ!!」
 アイリスが絶叫する。

 その喧噪の中、ロウはやけに穏やかな自分の鼓動を聞いていた。
 アークマージが放った一言が、頭の中で鳴り響いている。勇者は死んだ。
 死んだ。
 その一言で、全身の血液が凍ったような気がした。
 動悸さえも治まり、耳もとに異常な静寂が訪れている。
 今のこれが現実だとは、思えなかった。
 さっきまで話していたはずなのに。
 さっきまで動いていたはずなのに。
 これが現実だとすれば今、この腕の中にいるのは誰。
 どんどん冷たくなっていくのは何だ――?
「セティオ」
 そっと、呼んでみた。
 唇は動かない。
「セティオ」
 もう一度呼んだ。
 やっぱり反応はかえってこない。
「……セティオ」
 更に呼んだ。
 呼ぶ声は、空しくかき消えていくだけだった。
 何度呼んでも、返事は一度たりとも返ってこない。
 ぐっと抱き締め胸に耳を付け、聞こえるはずのものが聞こえない様子に理解する。

 現実だ。

 セティオはもう、二度と目を開けない。二度と、立ち上がることも、話す事も、あの瞳を見る事も、何もかも。
 どんなに、切望しても。

 理解した途端にどんどん沸き上がってくる何か。押さえられない。
 自分の外套を外して敷き、抱いていた身体をそっと降ろした。
 そして、立ち上がる。
 動いたこちらにシエンは顔を上げ、何故か息を飲んだ。
「頼む」
 ロウはそれだけ言い、歩き出す。
「ロウ?」
 名を呼ばれても、もう答えなかった。代わりに襲い来る魔物の群れへ向けて手をかざし、呪文の詠唱をはじめる。
「――青き氷竜……生命を凍結させる輝きの檻で奴らを包み込め」
 流れる詠唱にすさまじいまでの殺意が連動し、集まっていく冷気と混ざり周囲に渦を巻き始める。
「凍り付け――ヒャダイン」
 解放の言葉の後、無数の氷を含み輝く冷気が魔物達に襲い掛かる。
 あちこちで上がる悲鳴のような奇声。それらが止んだ頃には、先陣にいたアークマージの手勢は既に氷付けの有り様だった。
 シン……と奇妙に静まったその様子に、アークマージばかりか周囲も唖然とする。
「あんな呪文を……制御しないで撃つなんて」
 アイリスの呟き、声が震えている。
「クク――勇者の死で我を忘れたか。では望み通り、そなたも冥府へ送ってやる」
 口にした後、アークマージは臨戦態勢に入った。
「……ッ!」
 それを目にし、ロウは剣の柄を力一杯掴んで引き抜いた。青白い刃は弧を描き、ぎらりと輝く。その鋭さよりも遥かにぎらついた眼が前方を睨む。
 その視線の先は、嘲笑を浮かべるアークマージ。
「ぁぁああああ――――――ッ!!」
 立ちはだかるもの全てを消す勢いで絶叫し、正面から突っ込んだ。
「ロウ、ロウ! 落ち着いて戻れ、早まっちゃ駄目だ!!」
 シエンが制止を叫んだのが耳に聞こえる。
 けれどもう、誰の声も頭には届かない。




◆    ◇    ◆    ◇


 ロウは完全にキレていた。
 手勢を次々にこちらへ向かわせながら仕掛けてくるアークマージに対し、バギクロス、マヒャド――体力を消耗する為、普段は必要に迫られなければ使わない強力な上級呪文を、押さえず連発して唱える。
 呪文から逃れた魔物達は剣で振り斬り、力任せに降り下ろして一直線に襲いかかっていく。満身創痍になりながらも、ぎらぎらした瞳の強さは全くかわらない。
 その勢いを煽るように闘っていたアークマージだったが、続けるにつれ次第にその気迫に押されはじめていた。
「カアッ!」
 気合いとともに吐き出された冷撃のブレス。ロウはそれを真正面から受け、それでも剣を抱えて突っ込んで行く。
「――ッ」
 受けたアークマージは、そこで初めて動揺の色を見せる。
「バギマすら満足に使えなかった者が、どうすればここまで」
 小さく呟かれた言葉、ロウは表情一つ変えない。畳み掛けるように剣を突き出し、攻める。
 その最中、剣がガギィインッ! と鈍い音を立てて折れ飛んだ。
 衝撃に弾かれ、ロウは数歩後退する。
「――ッ!」
 その隙を付いて飛び出したのはシエンだ。鞭を生き物のように撓らせ、アークマージの腕を絡め取る。
 ロウが突っ込んだその後、シエンも衝動を押さえきれずすぐに飛び出していた。
 絶対に無茶をしない戦闘を心掛ける彼でさえ、どんなに身体に傷を作っても厭わず。目指す先に向けてひたすら駆けていた。……そうでもしていなければ、押し寄せる激しい感情にどうにかなってしまいそうだったから。
「たいした力も持たぬ、人間風情が……ッ」
 アークマージは嘲るように低くいい、取られた腕を振り解こうと力を込める。そのまま迫り合いになり、シエンは力負けしない様踏ん張った。
「く……ッ」
 引く訳には行かないが、尋常では無い力に引き摺られそうになる。
「――自由を奪い去る聖なる糸、愚者の愚行を妨げよ」
 そんな時、流れるような詠唱が響き渡った。声はアイリスだ。
 彼女はずっと、セティオの側で援護呪文を唱えて補助してくれていた。傷を気にせず突っ込めていた理由の一つは、彼女がいたからでもあった。
「絡み付け、ボミオズッ!」
 発動後、白く細い無数の何かがアークマージにまとわり付き、その動きを制御する。
「……ッ?!」
 その隙を逃さず、シエンは鞭を押さえたまま、腰の短剣を抜き払った。勢いをつけた短剣はビッとローブごと喉元を掠め、血の軌跡を描く。その傷でたまらず後退したアークマージに、シエンは叫ぶ。
「お前は弱みにつけこんでいろんな人を利用した。カンダタ様をも。挙げ句――セティまでッ! 絶対に赦さない!!」
「ク……この程度で、なめてくれるなッ!?」
 一喝し、アークマージは宙に飛び上がる。そして印を組み、何かの詠唱を初めた。
「――大気に混じる、闇の粒子よ集え」
 途端に空気が、びりびりと振動を始める。
「まさか――魔法使いが使える最大にして、最強の呪文、イオナズン」
 震えたアイリスの呟き、シエンは体中に冷や汗が伝うのを感じていた。凄まじい量の力が、アークマージの手に凝縮されていく。
「く……ッ」
 気押されながらもシエンは身構え、アイリスはセティオを庇うように屈み込む。
 ロウは、アークマージに対峙したまま微動だにせず集中している。
 やがてその呪文は完成を迎え、かああ……ッと周囲の空気が輝き、一気に膨らんだ。
「イオナズンッ!」
 そして解放の言葉が叫ばれた瞬間、大爆発を起こす。
 その衝撃が届くまさに寸前、ロウは両手をかざして叫んでいた。
「――マホカンタッ!」
 彼の前に作られていたのは、黄金のシールド。
「な、馬鹿なッ!」
 思い掛けない事態だったのか、アークマージは驚愕の声を上げた。その表情を見据え、ロウは眼を細める。シールドは広がり、衝突した爆発をぐんぐん中心へめり込ませていく。そして限界まで反った、次の瞬間。
 その速度は、相手が避ける暇すら与えなかった。
「グアアアア!!」
 跳ね返えされたイオナズンは、そのままアークマージへ向けて放たれた。自分の放った魔力をそっくり跳ね返され、吹っ飛ばされて地面に叩き付けられる。
「どう、なった」
 呪文が治まり、爆音の余韻が残る中。衝撃派で舞い上がった土埃の向こうでは、アークマージが起き上がろうと痙攣していた。
「貸せ」
「えっ、あ」
 ロウはシエンの手から短剣を奪い、側に近寄る。脇腹を足蹴にして仰向けにし、そして、
「ガ……ッ?!」
 次の瞬間、アークマージはその動きを止めなければならなくなった。なぜなら短剣の切っ先が、口の中に突っ込まれたから。
「ここまでだな」
 低い声で告げるロウの声は、どこまでも冷たかった。
 その問いかけに答えるように、アークマージの声が頭に響く。
【……よもや、我をここまで追い詰める程力をつけているとは思わなかったぞ】
「……」
【しかし、我が闇に還ろうと何も変わらぬのだ。何せ、勇者は既に息絶えているのだからな――!】
「……てめぇッ」
 感情を逆なでされ、ロウは怒りで全身を震えさせる。
 それすらも楽しむように、アークマージは、
【ククク……憎しみは、怒りは大魔王様の喜び…悲しみの涙は喉の乾きを潤す雫。
 我を、もっともっと憎むがいい……フフ、フハハハハ、ハァッハッハッハッハ――ッ!!】
「――ッ!!」
 躊躇いは微塵も無かった。短剣を垂直に向け、渾身の力を込める。鈍い音の後、鮮血が噴き上がり返り血となって降り掛かった。ロウはそれでも力を緩めない。渾身の力を込めて柄を捻る。
 アークマージは薄笑みの眼差しをロウに向けたまま、ビクンッと痙攣した。身体はその度にガク、ガクンと揺れていたが、次第に回数を少なくし、程なくして動かなくなった。
 そんな姿に激昂したまま、ロウは更にその顔面へ向けて手を突き出す。
「大気に混じる粒子の、全てに命じるッ――!!」
 詠唱の声で、空気が振動を始める。それは詠唱が進むにつれて次第に強まりバリバリと音を立て、地響きまで起こす程まで強まっていく。
「な……、ロウ?!」
 鬼気迫るロウに硬直していたシエンだったが、流石に異常を感じて声を上げた。アイリスも青ざめる。
「ロウ……ッ、や、やめてッ!!」
 異常な量の魔力の放出にたまらず叫び、ロウの元へと駆け出す。
「駄目、そんな呪文を全開で放ったら今度こそあなたは、いえ、みんな街までも巻き添えにしてしまうわッ!!」
「……知った事か」
 対するロウは詠唱を区切り、低く答えた。
「俺なんか……、他なんかもう知った事じゃねえ」
「なッ?!」
「なんて事言ってるんだ?!」
 シエンもたまらず声を上げる。が、ロウは耳を貸す気すら既に無い。
「俺は何の為に――ッ、また、何も、俺には誰も助けられない。一番大事な奴すら誰もッ!
 そればかりか追いやった原因は俺だ――ッ
 どうすればいい? あいつにはもう、言葉も呪文も何も届かない。俺にはもう何もできない」
 自分があの時、余計な事を尋ねなければ――何より、あんなモノを渡さなければ。
「……ッ!!」
 深い自責に絶望する。やりきれなさに、――それでもシエンは衝動に耐え、説得を続けようと声を張り上げる。
「か……ッ、構わないなんて事あるはずが無いだろッ! 君は自分で言っていたじゃ無いか。後に残される人の事を考えない奴は最低だってッ。自分が言った事を覆す気か?!」
「あいつは俺の全てだった。こうなった今、もう……、どうなったって構わない。
 街の奴らも消えて当然だ。我が身可愛さに、あいつへ剣を向けた報いを知れ」
「……ッ」
 憎悪に潤む眼で言い切るロウ。シエンはとうとう、絶句する。その姿を一瞥した後、下で既に絶命しているアークマージに視線を移す。
「全部消してやる。今、解き放つ――」
 再開された詠唱。止める気はもうこれっぽっちもなかった。後は解放の言葉を叫ぶだけで全てが終わる。放たれかけた呪文は光を増し、膨らんで――ッ
「――マホトーンッ!」
 終息、した。寸前で呪文が掻き消え、あたりがシーンと静まり返る。
「な、に……?」
 唐突の事態に呆然とするシエン、そしてアイリス。
 ロウは無言のまま、魔封じの呪文が飛んできた方角を睨む。
 その方向に目を向けると、予想にもしなかった人物がそこに立っていた。
 風で靡く、銀色の美しい髪。賢者の証である、紅い宝玉を埋め込まれた鈍い金のサークレットが微かに光る。
 手許には、突き出したままの杖。
 そしてその紅の瞳は鋭く細められ、ロウを見据えていた。
「――ッ、ジェード様?!」
 アイリスに名を呼ばれ、彼女――ジェードはその唇を開いた。
「それ以上、無駄な力を使うのはやめなさい」
 無駄、そう咎められても引き下がれなかった。途中で止められた事に強い不快感を覚えジェードを見据える。が、彼女は少しも怯まない。逆に強く睨みかえされ、しばらく空気が膠着する。
 ややあってから、ロウは呼吸の為に一瞬息を抜いた。
「――ッ」
 その途端に喉の奥から込み上げてきた。強烈な吐き気を覚え、そのまま膝を折る。
「か……はッ」
「な、ロウ、大丈夫か?!」
 様子に慌てて駆け寄り、背に手を当てるシエン。
 ロウは喉元を押さえながら噎せる。止まらない吐き気――涙まで、溢れる。
「ロウ……ッ」
 シエンはたまらず名前を呼んだが、先が詰まり言葉が出てこない。その背をさするだけで、精一杯だった。
「どうやら、最悪の事態になってしまったようね」
 周囲を見渡しながら、ジェードはつかつかとこちらへ歩いてくる。
「何故、神殿を出る事はできないはずでは」
「それどころではないからこうして出てきたのよ」
 アイリスの問いに答えた後、セティオの元に跪く。そして状態を調べ、眉間に皺を寄せた。
「一刻を争うわ。場所を換えましょう」
「……え?」
「ここでは彼女を助けられない。あなたたち、運ぶのを手伝いなさい」
「な――ッ、それって、セティオは助かるのですか?!」
 アイリスの声に、うなだれていたシエンも、ロウも勢い良く顔を上げる。三人の視線を受け、ジェードは毅然として頷く。
「ええ、助けるわ」
「本当――本気で言ってんのかッ?!」
 ロウは勢いのままジェードに掴み掛かり、確認する。その瞳は、絶望の上に微かに浮いた希望で不安定に揺らめいている。
 ジェードはロウの手をそっと制して、瞳に頷いた。
「本気よ」
 その答えを飲み込むのに、数秒。
 理解した途端に込み上げた激情を押さえきれず、服を掴んでいる指に力を込めながら、
「た……頼む……ッ、セティオが息を吹き返すなら俺はなんだってするッ!!」
「ロウ」
「するから、……あいつ……助けて、――ッ」
 縋るように力一杯懇願し、そのままずるずると崩れ落ちた。その姿につられるように、アイリスは涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らしながら深く頭を下げる。
「ジェード様……ッ!」
 シエンも拳を握りしめ、深く頭を下げた。
「僕からもお願いします。セティを、助けて下さい……ッ」
 それぞれの懇願を受け、ジェードはもう一度頷く。
「勿論よ。この娘だけは、どんな事をしてでも助けなければならない。……ロウ」
「!」
「貴方の、何でもするという言葉。二言が無いのなら、一緒に来なさい」




◆    ◇    ◆    ◇


 メルキドの、宿の一室。
 扉を閉ざし、シン…と静まり返った空間に、二人分の息。
 言われるままにセティオを横たえ、腹に組ませようと触れた彼女の手。その指先にもう熱はなく――冷たい。感触に背筋がぞくりとする。
「……ジェード」
 絞り出すような、限界真際の声がもれた。
 振り返るジェードに尋ねる。
「どうすれば、こいつを助けてやれる」
 必死の思いで言葉を吐き出すと、ジェードは頷いて質問を返してきた。
「私の言う通りにしてくれればいい。あなたは、ザオリクを知っている?」
「古の時代に使われていた、蘇生の呪文」
「そう。祈祷師達が使う半蘇生とは違う、完全蘇生。言うなれば神の奇跡、神秘の呪文よ。セティオを助ける為には、それを使うしか方法が無い」
 言い切ったジェードに、ロウは眉を潜める。
「な――冗談言ってんのか。あの呪文は禁忌……ッ、今は、その使用法さえ封じられていて使う事すらできねえはずだッ」
「ええ。今となっては誰も手にする事の出来ない呪文。私以外には……ね」
「――ッ?!」
 驚きに目を見開いた。ジェードはこちらの目を見据え、話を続ける。
「呪文を封じる際、私だけは万が一を考えて手放す事をせず、隠した。それが功をそうしたわ。だから、これを使って彼女を生き返らせるの。――ただし、それをやるにはあなたの協力が必要よ。いいわね?」
「何でもすると言った」
 即答すると、ジェードは頷いて説明する。
「では手短かに言うわ。
 あなたには、私の全てを継承してもらう。そして私の命を媒体に禁忌の呪を解き、ザオリクを発動させるのよ」
「あんたの、命……?」
「禁忌を犯すのだもの。この封を切れば、私は間違いなく神竜の怒りをかう。それを受ければただではすまないでしょう」
「それじゃあんたを犠牲にするって事」
「それだけの価値と必要性があると言う事よ。この娘を失うという事は、現代でロトを失う事。ゾーマを倒せる唯一の存在がいなくなってしまうと言う事よ。すなわちそれは、世界の終りを意味する。それだけは絶対にあってはならないのよ。彼女の事は、そうまでしてでも助けなければならない」
「な……、んな事できるかよッ! そんな方法じゃたとえ息を吹き返したとしても、こいつを苦しめるだけに……っ!!」
「じゃあ、他になにか方法があって?」
「それは」
「満足に力も持たない今の貴方に、彼女を助ける術が他に残されていると言うの?」
「……ッ」
「そもそも。勇者を守護する賢者の立場にあるはず貴方が、彼女を護りきれなかった事に原因があるのでは無い? 貴方がしっかり護り通せていたなら、こんな事にはならなかった。そうでしょう?」
 指摘されぐうの音も出なかった。まさしくその通りだ。悔しさに嘖まれて歯ぎしりする。身動きがとれない。全力で握りしめた拳は血の気を失い、白く震えている。
 ジェードは、厳しい目でロウを見据えていた――が。
「……ッ」
 突然、ガクリと崩れて膝を付いた。
「ジェード?!」
 急な出来事に、ロウは呪縛から抜け彼女へと駆け寄る。膝を付いたジェードは、深く息をしていた。その額には汗すら浮かんでいる。そしてその顔は何故か、見る見る内に皮膚が縮れるように、――ッ?!
「……ふふ。どうやら……時進みが始まってしまったみたいね」
「――ッ!!」
 その一言で思い出す。以前彼女が話してくれた、雨の神殿を離れては生きていけないと言ったあの言葉――
「もう、迷っている時間も討論している時間もない。神殿を出た私はどっちみち、このまま消える運命にある。――ロウ、手を」
 差し出されたジェードの手。刻々と彼女の時間が進む様子にもう、一刻の有余も無かった。迷う余地すら無い。その手を握り締めると、ジェードの全身が淡い光に包まれる。
「く……ッ」
 どんどん強くなるそれに、目眩のような物が襲いかかって来た。何かが次々に流れ込む感覚。
 それが一通り続き、光が止む頃。
 ジェードは、ロウから手を離した。
「俺……ッ」
 その手を見つめ震えるロウに、ジェードは告げる。
「これであなたは三賢者、雨雲の杖を護る者としてのすべてを継承した事になるわ。ザオリクを使う為の力も勿論。けれど、ザオリクを使える回数は一度きり。上手く発動させる事ができなければ、この世界は終わりを迎えると心得なさい」
「一度」
「必ず、セティオを。そしてゾーマを倒し、全てを終わらせるのよ……ッ!」
「な、……ジェードッ!!」
 ロウが叫ぶとほぼ同じ、ジェードの身体は急速に時間を進めはじめた。目で追う事もままなら無いまま光速で時が進み、進んで、そして、……ッ。
 最後にとうとう、ジェードだったそれが空中で霧散する。
 彼女のサークレットが床に落ち、かん高い音を立てた。その上に持ち主を失った服がパサリと落ちる。
 一部始終に息を、飲んだ。
 動悸が収まらない。
「…ぅあ…あ…ッ」
 一気に入り込んだ知識、ジェードの三賢者としての記憶の波。その重圧、最後――気が狂いそうだ……ッ。
 頭を押さえ、顔をしかめたところで、横たわったままの彼女が視界に入る。
「……セティオ」
 名を呼んで側に寄った。ベホマで傷を癒した今、彼女はただ、眠りに落ちているようにしか見えない。
「セティオ」
 その頬に指で触れ、――眠りではない事を改めて認識させられる。堅く冷たい頬。生の息吹が無い抜け殻のからだは、優しくも無く、柔らかく受け止めてもくれない。
「……ッ!」
 閉じられたままの唇に夢中で唇を重ねた。以前は暖かく、柔らかく、しっとり濡れて――涙の味がした、その唇。
 今はただ冷たくかさついた、鉄の味。
 たまらなくなって、そのまま髪に指をくぐらせ頭を抱き締めた。
 脳裏に浮かぶのは、いつも、いつも、いつも――真直ぐ前を見つめていた青い瞳。
 あの輝きに焦がれていた。何よりも。
 顔を上げ、決意する。
 今しなければいけないのは、彼女の体温を取り戻す事。
 そして俺は、その為の力を手に入れた。やらなければいけない。

「……必ず、助ける」

 誓い、彼女の手を両手で握り包んだ。
 その手に額をつけ、目を閉じて、祈る。
「――我が名は、ロウ・グラシエール。
 ジェード・ダェグ=ラーグの魂と引き換えに今、ここで禁忌を犯す許しを請う。
 天なる神竜の加護の元、失われ行く魂に、今一度生命の光を――!」

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