立ち待ちの月



 不完全に丸い月が、東の空に昇る。
 立って待つ内に昇ると言う、立ち待ちの月。
 けれど彼女の月は、いつまで待っても戻っては来ない――。


  立ち待ちの月
  side:アリアハン その後



 弱く灯した明かりに照らされた、静かな部屋。窓際の寝台で、蒼白い顔の女性が眠っている。その顔は見るからに痩せ、今にも消えてしまいそうな程儚く呼吸を続けている。
「――この娘も、随分と不憫な人生を送る羽目になってしまった」
 ポツリと、リゲルが呟く。
 往年、近衛時代の姿が霞む程小さくなってしまった背中。愁眉に深く刻まれた皺を見つめ、ミザールは改めて例えようのない後悔に襲われる。
「あの時、意地でも止めるべきであった。あの子らを止められていたならば、ルシアにこのような思いをさせる事も無かっただろうに」
「いや。ミザール殿が気に病まれる事では無い。例え誰が説得しようとも、強固な決意をしたセティオを誰に止められようか。…まったく、親子ともども頑固でいかんな」
 ため息混じりに吐き出した後、リゲルは微かに笑う。
「リゲル殿」
 名を呼んだものの、彼の眦に浮かんだものに気付き、口を噤むしかなかった。
 かの勇者オルテガの妻にして、魔王バラモスを打ち倒した勇者セティオの母、ルシア。二度目の旅を決意したセティオの事を告げたのは、彼女らが旅立った翌日の事だった。ルシアは事を予感していたのか淡々と頷いたが、その動揺と衝撃はこちらの目で見ても明らかだった。本人が自覚しないうちから来たであろう震え、今にも崩れそうな程揺れていた足下。しかし、彼女は頑として倒れなかった。表面では何処までも気丈に、あくまで淡々と、笑みすら浮かべて――。
 そしてその晩から、玄関に立ち帰りを待つルシアの姿が目撃されるようになった。雨が降ろうが風が吹こうが、雪が舞おうが関係なく夜明けまで、じっと立ち尽して。
 身体に障るからとやめさせようにも頑として譲らず待ち続け、半年過ぎた今日夜半。とうとう、このように倒れてしまったのだった。
 今は、倒れたと聞き駆け付けて来た教会の神父、ミザールの手当てにより静かに眠っている。その蒼白い額に手をのせると、まだ熱い。熱をやわらげる為、額に冷やしたタオルを乗せた時。閉じられていたその瞼が、ゆっくりと動いた。
「おや、気付かれましたか」
「――神父様。私、何故」
 戸惑ったような、細い声が漏れる。
「ばか者め。倒れるまで続けるなど、そんな無茶をする者が何処にいるかッ」
 ルシアに答えるよう怒鳴ったのはリゲルだ。それを受け、ルシアは瞳を伏せる。
「すみませんでした、お義父さん」
「心配させおって。これ懲りたら、待つのはもうやめなさい」
 悲痛な願いにも似た説得。けれどルシアは、首を横に振って同意しなかった。
「いいえ、お義父さん。私はどうなっても、待つ事だけは止められません」
「なんだと?」
「あの娘がいつ帰ってきても淋しくないように、待っていてあげたいんです」
「……。いいか、ルシア。セティオはもう戻って来ないのだ。戻ってくる気があったのなら、あの娘は必ず許しを得てから出て行ったはずだ。わしらに何も言わず出て行ったと言う事は、自らの死を、戻らない事を少なからず覚悟していたからに他はない」
「けれど、私は――」
「ルシア」
「はい」
 ルシアが反発し、異を唱えようとした時。リゲルは何故かふ…と表情を変えた。そして、
「もう、この家を出たらどうだ」
「お義父さん」
「リゲル殿」
 これにはルシアばかりか、だまって話を聞いていたミザールまで声を上げる。二人の視線を受けながら、リゲルはルシアを見つめて諭すように語りはじめる。
「いつまでもこの家に縛られているからそうなのだ。オルテガも既に亡し、セティオもしかり。そんな状況でここに暮らし続けている事が不健康極まりないのだ。お前はまだ若い。やり直すにはまだ間に合う。だからこの家を出て、新しい幸せを見つけて――」
「お義父さん。私はそれにも従えません」
「ルシア……!」
「セティオは必ず帰って来ると信じています。そして私には、後にも先にもオルテガだけ。彼以上の方など他にはありえない。だから私の幸せは此処で、あの娘を待ち続ける事に他はありません」
「待つだけで一生を棒に振るつもりなのか。それで本当に幸せだと?!」
「はい」
 にこりと微笑み、ルシアは言い切った。その澱みのない澄んだ瞳に、説得の言葉などもう皆無に等しい。
「ならば、……気が済むまで続けるといい。だが、身体だけはしっかり気を付けなさい」
「わかりました」
 その返事まで受け取った後、リゲルはたまらず、そんな様子で背を向ける。そして、
「ミザール殿。夜遅くにも関わらず来て下さり、助かった」
「いや、礼には及びませんぞ。それより、リゲル殿もお疲れの様子。そろそろ休まれた方がいいかと」
「……すまない。では、後は頼む」
 深く頭を下げ、リゲルはそのまま部屋を出て行く。
 少しの沈黙が降りた後、先に口を開いたのはミザールだった。
「ルシア。リゲル殿は貴女を深く心配しておるのじゃ。無論、私もな」
「……はい」
「セティオが帰って来た時にお前さんが病んでいたら、それこそ悲しまれてしまうのじゃから。無茶だけは厳禁ですぞ」
「はい。神父さんにも、ご迷惑をおかけしました」
「うむ」
 ルシアに頷き、少しだけ力を抜く。
「――しかし。あの子らは今頃、どこで何をしているんじゃろうなぁ」
 ため息混じりに呟くと、ルシアは頷いて、
「神父さんの所のロウ君も、またあの子に同行して下さってるのですよね」
「ああ、そうそう。私の場合、ウチのがセティオに迷惑かけてないかどうかも心配なのでね」
「まぁ、ふふふっ。それならきっと大丈夫。ああ見えていても、ロウ君は優しい子でしたから」
「んー。まぁ、それと一途さが取り柄のような奴じゃからなぁ」
 苦笑混じりにそう返すミザールに、ルシアはクスクスと笑う。その顔を見届けた後、ミザールは椅子を立ち上がり、
「さて。夜も深けたようじゃし、私もそろそろお暇しようかの」
「あ、でしたら下まで」
「ああ、見送りは不要じゃよ」
 ベッドから起き上がろうとする身体を制して、
「とにかく今は、身体を大事にの」
「はい。夜分遅くまで、ありがとうございました」
「いやいや。お前さんに、それと……セティオに。神のご加護がありますように」
「はい」
 深々と頭を下げるルシアに微笑み返し、帰路に付く。


 その道中。見知った背中を見つけ、立ち止まる。
「リゲル殿」
 呼び掛けると、彼は振り向かないまま、
「体調が戻ればルシアはまた、夕刻が迫る赤い空の下に立つ。庭の角を曲がって、セティオが帰って来る事を信じて――わしは、そんなルシアが不憫でならないのだ」
 そう言った声は、肩は、震えていた。切なさに、やりきれなさに胸がしくりと痛みを覚える。
「リゲル殿」
 漏れ聞こえる微かな嗚咽、震えるその背を支えながら、自身の瞳まで熱くするそれを堪えた。
 勇者と賞賛されるオルテガと、娘のセティオ。その賞賛の影で、家族達は何故こんなにも悲しまなくてはならないのか。何故、世界の平穏と引き換えで大事な家族を失わなくてはならないのか。
 強固な決意で旅立って行ったセティオと、息子同然なロウと、仲間のマーガレットと、シエン。神に祈り彼等が戻るなら、命尽き果てるまで祈り続けよう。
 最後に見た彼等の顔を思い出しながら、ミザールは空を見上げる。
 そこには周囲を照らす、立ち待ちの月。

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