LEVEL:04  あの犬!



   LEVEL:04  あの犬!



 前方に魔物の群れが現れた。
 大猿の姿をした魔物、マンドリルが一体。その太い腕から振り下ろされる一撃は重く、尋常ではない破壊力を具えている。周囲に複数舞うのはコウモリに似た魔物、タホドラキー。名の通りドラキーと似ているが、一回り大きく全身が緑。最大の特徴として、ルカナン(守備力減少魔法)を使う。
「厄介な組み合わせだね。どう攻めたらいい」
 静かに武器を抜くセシル。幸いな事に、彼らはまだこちらに気付いていない。
 既に柄を取り、構えていたアスティアは頷いて答える。
「先手で撹乱を。まずはタホドラキーを潰す。ルカナンを使わせるな」
「解った」
 息を潜めて確認し合った後、役割に散る。身軽で素早さが上な為、先に突っ込むのはセシルだ。気配に感付いた魔物達は一斉に振り向いたが、もう遅い。
「せぁッ」
 かけ声の後、彼の持つ聖なるナイフがタホドラキーの翼を刈り取った。悲鳴を上げながら墜落した胴体へためらい無く止めを刺し、次に走る。
 この襲撃で大混乱になった魔物達。アスティアは固まったマンドリルを尻目に、めちゃくちゃに飛び回るタホドラキーを確実に撃墜して行く。
「そちらの残りは」
「あいつで最後!」
「了解、マンドリルを撃破するッ」
 応答した後、アスティアはマンドリルに集中した。殺意を向けられて我を取り戻したのか、マンドリルは腕を振り上げて飛び掛かって来る。巨体に合わず、俊敏。繰り出される打撃を受け流して機会を待っていたのだが、
「グァアア!」
「!」
 そこで、想定外の事態に襲われた。まともに入った一撃で刀身が折れ飛んだのである。勢い余ったマンドリルの爪はアスティアの頬を掠り、周囲にバッと鮮血が散る。
「アスティアッ」
「援護不要、迂闊に近づくな!」
 切迫した声を上げるセシル。しかし、ステップバックで距離を取るアスティアは冷静だった。血の伝う頬はそのまま、残った柄を投げ素早く腰の短剣に手をかける。
 武器を破壊し余勢を駆ったマンドリルは、両腕を大振りに上げて突進して来た。その隙を逃さず、抜き払う勢いで眼を斬り付ける。
「ギャアア!」
 絶叫を上げよろめいた巨体から離れ、次の体制を整えたまさにその時だった。
「――ギラ!」
 セシルの詠唱が響き渡り、放たれた閃光がマンドリルに直撃、炎上する。
 途端に立ちこめる、獣の焼け焦げる不快な匂い。咄嗟に鼻を庇い、眉間を寄せる。マンドリルは光炎の中でしばらく悶え叫んでいたが、やがて地に伏し動かなくなった。
 戦闘終了を確認した後、アスティアは無言でセシルをうかがう。
 彼は肩で息をしながら、まだ燻っているマンドリルを睨むように見据えていた。
 両側に下ろした拳を、震える程握りしめて。
 セシルは相当、切り替えが早かった。ローラの門で決意してからと言うもの、戦闘時の姿勢が明らかに違う。今ではもう、ためらいなど微塵も見せていない。
 ただやはり、罪悪感だけは変わりなく影を落としているように見受けられた。
「セシル」
 彼は、ぴくりと肩を揺らしてこちらを見上げる。青ざめた顔は無理矢理笑う。
「ごめん、不要って言われたけど不安でさ、つい。怪我は大丈夫? 今、ホイミ――」
「不要です。魔力の無駄遣いは極力、御控え願いたい」
 発言を重ねて先を黙らせた。泡を食ったセシルを横目に、アスティアは手の甲で頬を拭う。この程度の掠り傷ならば大事無い。わざわざ魔法を使わせ、体力を消費させる必要が無いからだ。彼はただでさえ、体力面が心許ないのだから。
 今の戦闘であっても同じだ。己で切り抜けられたのだ。魔法に、頼らずとも。
 気遣いと自負が立ち、アスティアは多少機嫌を損ねていたのだが。
「余計な事、したかな」
 低く独言したセシルにはっと顔を向ければ、彼は見るも解りやすくしゅんとしていた。
 そこで、自分の態度が必要以上に辛辣だった事を知る。
「いや――的確なフォローには感謝している」
 目を見て詫びると、セシルの表情は途端に華やいだ。
「よかったー。怒らせたかと思ったよ」
 にこりと笑み、セシルは持ったままだった武器を収めた。その安堵しきった表情に心を動かし、何度目なのか解らない罪悪感に追い立てられる。
 改めて、今は独りで戦っている訳ではない事を確認させられた。
 連携が増えれば互いが楽になるのは必然。そうなるとやはり、最も重要になるのは相互の信頼。
 アスティアは己の態度を反省しつつ、咄嗟に使ってしまった短剣を丁寧に拭いて鞘へ戻した。――もう、独り善がりではいられないのだ。
 そんな思いに耽っている、最中だった。
「くらえ」
 物騒な掛け声と共に、冷たいものを頬の傷に押し当てられた。
「な――?」
 唐突な行動に多少動揺すると、セシルはしてやったりとばかりに片眉を上げて笑む。
「ホイミが駄目なら僕特製、薬草湿布をどうぞ、と思って」
 アスティアは張り付いているそれを剥がして手に取り、観察する。清潔な布に薬草を包み、水か何かで湿らせたようなものだった。
「しばらく付けとくか、最悪傷拭くだけでもいいから使って。化膿したら大変だろ」
「この程度に、大袈裟な」
「もしも、を考えたくない。黙って治療に応じてくれないか」
 有無を言わせない諭しだった。こうまで言われては、折れるしかない。
「……御気遣い、恐れ入る」
 礼を述べ、素直に薬草湿布を押さえた。
 セシルはこちらの対応に満足したらしく、切り替えるように視線を動かした。一緒にその方角を見て、もう一つの現実に直面する。
「しっかしまぁ……随分、見事に折れたようで」
「大分無理をさせてしまった」
 柄を拾い上げ、アスティアは眉を潜める。手入れをしながら大事に使って来たが、連日の戦闘で劣化し切っていたようだ。
 こちらの魔物は相当、強い。
「ムーンペタで新調しなきゃ、だね」
「ふぅ……痛い出費だ」
 実際、現在の財布事情は、溜め息が漏れる程厳しかった。
 けれど、セシルは明るく元気付けてきた。
「僕の手持ちも合わせればなんとかなるよ。その剣も、鍔細工の宝石がかなり上質だから、良い額で下取りに出せると思う。あ、目利きだけは得意なんだ」
 ニッと自信有り気に笑い、遠目に見え始めていた街を親指で示す。
「行こ。この状態でまた遭遇しても厄介だし」
 至極真っ当なので頷き、折れた刀身と柄を鞘に納めてふと、動きを止める。
(下取りという事は、これを売り手放す、という事か)
 もう使い物にならないとは言え、これは王から賜った剣だった。
「アスティア?」
「今行く」
 背に腹は代えられない。振り切るように前を向いた。

 ローラの門を抜け、数日。ムーンブルク大陸に立った二人はまず、入り口的役割を担っている都市、ムーンペタを目指していた。
 王城の襲撃を受けたせいか、こちらの魔物はローレシア・サマルトリア大陸の比にならない程強力だった。先程のマンドリル・タホドラキー戦で改めて、思い知らされた。
 それでも悪い事ばかりではない。この道のりを協力しあう過程で、セシルとの距離が少しずつ、近づいていたからだ。




◆    ◇    ◆    ◇


「意外と賑わってるね。そんなに影響、無いのかな」
 軒を連ねる商店、人波。『人と人が出逢う街』と言う冠詩に違わない従来に、忙しなく視線を巡らせながらセシル。
「多少の歪みは出ているようだが――」
 静かに答え、アスティアは裏路地に目を向ける。不穏を漂わせて屯するのは難民か、浮浪者か。彼らの表情は暗く沈み、何かに怯えているよう見受けられた。
 セシルは眉根を寄せ、言葉を失い嘆息する。
 ――ムーンペタ。
 夕陽は表裏構わず、街をマダーレッドに染めて行く。

 手近な宿を取った後、二人は物資補給と視察を兼ねて街を歩いていた。
 優先すべきは武器と判断し、歩き回る事数分。店舗を見つけて中に進めば、満面の笑みを湛えた店主に出迎えられた。この時勢に儲かるのはやはり、武器防具屋なのだろうか。羽振りは良さそうだった。
「いらっしゃいませ。何をお求めで?」
 閉店間際でも張りのある声が証明する。複雑な気分を抱きつつ、アスティアは折れた剣を携えてカウンターに進み出た。
「この剣を下取りで、武器を見せて頂きたい」
「査定しましょう。どうぞ、お好きにご覧になって下さい」
 アスティアはセシルに目配せした後、店内を見渡した。品数は多くないが、質の良さそうな得物が陳列してある。
 その中で一際目を惹く物と言えば、鉄をふんだんに使った品だろうか。
「鉄製の武器がこんな値段で置いてある」
 セシルも同様、食いついた。
「ムーンブルクは鉄の産出国だからな。地下資源の豊富な国は羨ましい」
「経済的に潤うからねぇ。折角だから僕も新調した方がいいかな。このナイフだけじゃもう、心許ない気がする」
「先を見据えるならば、そうするべきかと」
「だよね」
 相槌しながら見定めている途中で、ふと。アスティアは、見慣れない武器に目を留めた。
 それは一見、鎌。しかし柄には長い鎖が取り付けられ、先端に分銅が下がっている異形な武器だった。
 心惹かれて手に取ると、店主が目敏く説明を入れて来た。
「それは鎖鎌と言いまして、農夫が自衛の為に発明した武器でしてね。魔物を狩りながら草刈りも出来て一石二鳥! と言う優れモノなのですよ」
「どう使う」
「少し特殊でしてね。こう、分銅で撃ち付けたり、鎖を絡めて動きを封じた後、ガッと鎌で斬りつけたり。技量によっては千差万別な武器ですが、防御性は殆どないので、懐に踏み込まれた場合の対処が困難だという一面もありますね」
 振り付きで説明を寄越す店主に頷き、アスティアは興味津々で鎖鎌を観察する。
「では中距離も行けるのか。面白い上に実用的で安価だが――どう思う」
 真顔でセシルに問うてみると、受けた彼も真顔で一言。
「イメージじゃない」
「イメージ、とは」
 不可解な返答をくらって問い返すと、セシルはにこりと笑み直して続ける。
「なんでも無い。それより僕は、無難に鋼の剣がいいと思うよ」
「……そうか?」
 名残を滲ませながら鎖鎌を戻し、押し付けられた剣の握りを確かめる。鞘から引き抜けば、鏡面のように艶めく刀身が姿を現した。
「どう」
「重量も丁度良い。扱いやすそうだ」
「じゃ、アスティアはそれで決まり。僕はコレに決めたよ」
 セシルは得意げに頷いた後、手にしていた鉄の槍を示してみせる。
「槍術の心得が」
「嗜み程度だけどね。使えない事は無い」
「そうか。ならばこれで頼む」
 決断し、アスティアはずっと様子を伺っていた店主に視線を向ける。
「では下取り額を差し引いて――こちらの金額になります」
 にこにこ上機嫌で提示される。アスティアは頷いて支払おうとしたのだが、
「待ってアスティア」
 そこで、セシルに歯止めを掛けられた。
「何故だ」
 意味が解らず尋ねると、セシルは何故か憮然とした顔で進み出てきた。
「下取り価格、折れてる分を差し引いても安すぎると思います。柄の宝石細工とか、なかなか手に入らない逸品ですよコレ。せめて二千じゃ駄目ですか」
「育ちの良さそうな顔して値切りとはえげつない。切り捨てても二千二百」
「値切りじゃないです。足元を見ないで、正当な値段を付けてください」
 何故か値段交渉を開始してしまったセシルに、アスティアは無言になる。そういえば、目利きには自信があると言っていた。
(堅実な。サマルトリアでは、このような事まで訓育されるのか)
 まさに諸処色々だ。関心のままに成り行きを見ていたアスティアだったが――その時、背後に強い視線を感じて振り向いた。
 しかし、そこ――武器屋の戸口――に人の影は無く、代わりに薄汚れた茶色の仔犬が一匹、ちょこんと座っているだけ。
「……?」
 仔犬は微妙な距離を保ち、こちらをじっと伺っている。視線の主は、この仔犬で間違い無いようだった。
 アスティアは戸口まで進み、なんとなく側で屈んだ。仔犬は警戒したが、それでも逃げようとはせずこちらを凝視している。何なのだろうか。
「おいで」
 招いてみると、仔犬は警戒を解かぬまま、それでも側に寄って来た。
 手を伸ばすとびくりと身を竦ませる。恐る恐るこちらを見上げて来たその瞳は、不思議と知的な色をしている事に気が付いた。
 表情を緩め、今度こそ首元を撫でてやると、多少気を赦したのか。ぎこちなく尾を揺らし始めた。
「お前は野良か? 随分、痩せているように見受けられるが」
 それにしても、凛とした顔つきの仔犬だとアスティアは思う。薄汚れてはいるが、とても、野良とは思えない上品さがあった。飼い主が世話を怠っているのか、それとも――。
「えーいもう負けだ! あんたの言い値でいいよ」
「ありがとう! 大事にします」
 背後でセシルがわっと喜んだ。どうやら交渉成立したらしい。
「終わったか」
 思考を中断させて声をかけると、セシルは満面の笑みで振り返った。
「ばっちり。って……何してるの。犬?」
 購入したばかりの武器を抱え、不思議そうにやってくる。
「何か、此方を見つめているのでつい、な」
 アスティアは柔らかな眼差しで仔犬の頭を撫でた後、立ち上がる。差し出された鋼の剣を背負うと、表情を改めた。
「では、次へ」
「ん、そうだね」
 セシルも気を取り直すように頷いて、仔犬に手を振って武器屋を後にする。




◆    ◇    ◆    ◇


 宿に隣接するレストラン。夕食を求める客が賑わうオープンテラスの一角で、物資補給を済ませた二人は夕食を楽しんでいた。
 見目鮮やかなグリルサーモンのサラダに、ほかほかと湯気を立てるクリームスープ。焼きたてカリカリの香ばしいパン――。
 しばらく携帯食で過ごして来た二人にとって、次々に運ばれてくる皿の料理は喜ばしいものだった。
 それらをじっくり賞味しつつ、アスティアはセシルの顔を見た。
「ところで、セシル。サマルトリアでは、目利きのような訓育も行われているのだろうか」
 優雅な所作でスープを堪能していたセシルは、その問いにニコリと笑う。
「いや、僕の独学。小さい頃から靴とか宝飾とか、物の仕上がる工程に興味が尽きなくてさ。色々教えてもらう過程で、一つが形になるまでの苦労を知ったんだ。そこで、物の価値を考えるようになって」
 熱の隠った瞳で話すセシルに頷き、彼らしい動機だと納得する。
「もしかして驚かせてた」
「意外ではあった。堅実なのだな、と」
「堅実、か。結果的にはそうなったかな」
 セシルは満足げに目を細め、そのまま二個目のパンに手を伸ばした。そしてまさに至福、と言った表情でバターを塗り、口元に運んで行く。それがあまりにもにこやかだったので、
「――相変わらず、幸せそうに召し上がる」
 思わず口に出してしまった。セシルはきょとんと顔を上げ、尋ね返してくる。
「そう?」
「食事中は常に満面の笑みであられる」
 指摘すると、セシルは指についたバターをぺろりと舐めた。
「んー。いろんな所まで満たされるからかな。この分絶対頑張ろうって思うんだよね。アスティアは、無言でごっそり食べるよな」
「持たないからな」
 切り返しを受け、アスティアは頷きながら三個目に手を伸ばす。食べ始めたのは同時だったが、セシルとはいつのまにか一個分の差が付いていた事になる。
 セシルは、上目遣いで声を潜めた。
「前から聞こうと思ってたけどさ、身長幾つ」
「む。最後に計った数値は、百八十七――だったか」
 数値を口にした途端、セシルは背もたれに仰け反った。
「でかッ。いいなあー」
 その後何故か羨望の眼差しで呟き、唇を尖らせてしまう。
 今度は、アスティアは首を傾げる番だった。
「セシルは別段、低い訳では無いように思うのだが」
「や、確かに百七十ちょいだけどさ。君の隣にいると異様に小さく感じるんだよ」
「気にしておられるのか」
「うん」
「それは。心痛の至りと存じ上げる」
 そこでしれっと目を眇めて笑むアスティア。セシルは舌打ちして苦笑を返す他にない。
「もっと食べよ。まだ伸びるかも知れないし」
 呟き、大きく口を開ける。が――セシルはその体制で、気まずそうに目を泳がせた。
 結局食べるのを止め、顔を寄せて囁きかけてくる。
「ところでさ。気付いてる」
「ん、……ああ」
 頷いて同時にちらりと振り返れば、そこに居たのは先程の仔犬だった。
 相変わらず微妙な距離を保ったままこちらを伺って、いや。今度は睨んでいると表現した方が良いのだろうか。
「買い出し中もずっと付いて来てたよな。君に懐いちゃったんじゃないのか」
「いや、別の目的があるのではないか」
 アスティアと仔犬の視線がかち合った場所は、テーブル上のパン籠だった。
「じゃ、お腹空いてるって事?」
 呟きつつ、セシルはパンを片手に席を立つ。千切って手の平に乗せたところでしゃがみこみ、仔犬を招いた。仔犬は小走りで駆けつけ、念入りに匂いを確かめた後、じっとセシルを見上げて動きを止める。
「どうぞ。毒なんか入ってないからさ」
 セシルは苦笑交じりに一片を食べてみせた後、もう一度仔犬の口元まで運んでやる。そのひと欠けをそっと舐めた後はもう、食欲に勝てなかったらしい。脇目も振らず一心不乱に食べ始めた。
「おお、食べた」
「相当空腹だったようだな」
 平らげてもまだ物足りなさそうにしている様子に、アスティアはもう一切れをセシルに手渡す。仔犬は、その分まで綺麗に腹の中へ収めた。
「ほれぼれする食べっぷりだったよー。満足したかい?」
 問いかけ、食べ終えた仔犬を抱き上げて覗き込むセシル。すると仔犬は、
「おわッ!」
 尻尾をはち切れんばかりに揺らし、勢いのまま彼の顔に飛びかかった。後はよだれの嵐である。
「んふっ、わ……、待て、待ってってば、こら、こらー!」
 顔を舐められ悲鳴を上げるセシルは心底楽しそうで、その笑顔につられそうになる。アスティアは席に戻り、その微笑ましさに目元を緩ませていた。
 そんなやりとりの中、ウエイトレスが注文の品を運んでくる。
「お待たせしましたー。ご注文の、――ッ!」
 そこで、不意に途切れた言葉。何事かと見上げれば、彼女は何故か驚きに瞠目していたのである。
「何か」
 尋ねると、彼女は震えた声でこう、返してきた。
「ああ……まさか、アスティア様では」
 思いがけず名を呼ばれ、警戒する。セシルも同様、その肩をピクリと揺らして動きを止めた。今は、身分証明になるような紋章の類は外している。下手に刺激し、騒動になっては困ると踏んでいたからだ。
(何者だ)
 一方のウエイトレスは空になったトレイを胸元に抱き、驚きのままこちらを見つめている。そのブラウンの瞳、同色の髪はセミロング。左顎にほくろがある、細身の女。
 怪訝な面持ちで確認したアスティアだったが、不意に心当たりを見出した。
「其の方は以前、王宮に仕えていた女官か」
「はい、テアと申します。顔を覚えて頂けていたなんて夢のようですわ!」
 テア、と名乗ったウエイトレスは喜びに声を弾ませる。間違いは無いようだった。
 馬の合わない従姉妹、リーゼロッテの侍女。目の前の顔は確かに、王宮で何度か擦れ違った事のある顔だった。
「私の結婚を期にお暇を頂戴致しまして、二年程になります。もう二度と、お目にかかる事など無いと思っておりましたのに。この度殿下は、ご公務で」
 尋ねられる。言葉は悪いが、この再会を利用しない手はないと考えた。
「そうだ。不躾ですまないが、街の近況を教えては貰えないだろうか。当日ムーンペタ入りしたばかり故、まだ様子を把握しきれていない」
 実際に暮らす者から聞く情報程、信憑性の高いものは無いと踏んでの問いだった。
 テアは表情を引き締めて承諾する。
「はい。ムーンペタは自治区ですので、表面上の変わりは殆どございません。けれども、魔物による被害と精神的影響はそこかしこに。治安の乱れもやや、耳にするようになりました。先程もお客様から、財布を盗られてしまったという話を聞かされたばかりです。以前は小さな犯罪ですら、滅多に起こらない街でしたのに」
 歩いて感じた推測が肯定され、納得したアスティアは次の質問を口にする。
「では、難民の数は如何だ」
「それが……受け入れ態勢を敷いたそうですが、一向に気配も無く。城から唯一逃げ果せたと言う兵士の方を除いて、まだ誰一人としていないようなのです。王城も魔物と瘴気に阻まれ、今では容易に近づく事すらままならないと言う話で……」
「そんなに、酷いのか」
 震えた声で呟いたのはセシルだ。
「聞いた話ではありますが、相当だと」
 テアの返答に、アスティアはテーブルに置いた拳を見つめる。
 とすれば難民すら出さぬ程、徹底的に殲滅させられたと言う事なのか。これでは、ルナフィーリア王女の安否など絶望に近いのでは――否。それでも希望を見出したく、質問を重ねる。
「唯一逃げ果せた兵士、というのは」
「はい。ベルント、と言う兵士だそうです。今日も変わりなければ、教会の聖堂にいるのではないかと。街に辿り着いてからというもの、ひと時も教会を離れず、祈り暮らす日々を過ごしているのだとか」
「そうか。――有り難う」
 アスティアは礼を述べた後、眉をひそめて黙りこんだ。
 重い空気の中、セシルの腕にいる仔犬が小さく鼻を鳴らす。それに反応したテアは視線を仔犬へと向け、声を上げた。
「あ、その犬」
「この仔を知ってるのかい」
「ああ、いえ、あの……よく触らせたな、と思いまして」
「って言うと?」
 セシルが尋ねると、テアは一つ頷いて説明を続ける。
「その仔、ムーンブルクが陥落した頃にフラッと現れた野良なんです。えさをあげても殆ど食べようとしませんでしたし、誰にも懐かなくて。気位の高さから、もしかしたらその仔も、ムーンブルク城から逃げて来たのではないかしら、と皆で話していて――」
「テア! いつまで喋ってるんだ。次の仕事が詰まってるんだぞ」
 唐突に介入がはいり、会話が途切れた。声の方角に視線を送れば、屋内席のドアからウエイターらしき男がこちらを睨みつけているのが見えた。
「いけない。話し込み過ぎたようです」
 テアはトレイで口元を隠し、焦ったように苦笑する。
「引き止めてすまなかった」
「いいえ、こちらからお邪魔してしまった事ですから。アスティア様とお話が出来て、嬉しゅうございました。では……!」
 ぺこりとお辞儀をした後、彼女は忙しなく屋内へ駆け込んでいった。
「思いがけない収穫だったね」
 テアの後姿が雑踏に紛れた頃、セシルが口にする。
「そうだな。ベルント、と言う者に会ってみる価値もありそうだ」
 頷き、アスティアは大人しく此方を見上げている仔犬に視線を送る。
 テアの言っていた推測が、本当だとするならば。苦い思いが過り、そっと頭を撫でた。
「君も、辛い思いをしたのか?」
 セシルは腕の仔犬を抱き直し、仔犬の瞳を覗き込むようにして話しかける。そこで、気付いたように呟いた。
「この仔の瞳さ、不思議な色してるよね」
「ああ……以前、何処かで見たような気がしていた」
「偶然だね。僕もだ」
 それが誰、とも言わず疎通する。
 仔犬の瞳は、明るく澄んだポピーレッドだった。
「君、何か知ってない?」
 尋ねても、仔犬が答えを述べる事はない。ただ小さく、きゅうん……と切なげに鼻を鳴らし、その瞳を潤ませただけだった。




◆    ◇    ◆    ◇


 街の北外れに建てられていた、教会。
 扉の向こうには、小規模ながらも立派な造りの聖堂が広がっていた。
 入り口から奥へ、カーディナルレッドの絨毯を敷かれた中央通路が伸び、両脇にはベンチが並ぶ。両脇の壁、美しい交差を描く天井は、燭台の灯りを反射したカメオベージュの濃淡で彩られていた。
 そして、最奥には聖霊神ルビスの像が祀られている祭壇、神秘的に煌めく巨大なステンドグラス。
 アスティアとセシルは、その前で一心不乱に祈りを捧げている男の背を捉えた。
 身に着けているのは、見覚えのある形――件の、ムーンブルク伝令使が装備していた物と同型の鎧。アスティアは確信し、男に接近する。
 セシルはアスティアの半歩後ろで歩みを止め、足下にいる仔犬を抱き上げた。本格的に懐かれてしまったのか、こちらから一向に離れようとせず付いて来てしまったのだ。
「貴殿が、ベルント殿で相違ないだろうか」
 アスティアが声をかけると、男はのろのろと顔を上げてこちらを向いた。
「……いかにもそうだが」
 死んだような目。髪も髭もしばらく手入れされた気配はなく、まさに気力の枯れた落魄、といった風体だった。
 アスティアはその場に片膝を付き、目線を揃えて続ける。
「よければ少し、話を聞かせては頂けないだろうか」
「ムーンブルク落城の事か」
「そうだ。襲撃の手口など、覚えている事があるならば教えて頂きたい。今後二度と惨事を繰り返されぬよう対策を講じる為にも、今は少しでも多くの情報が欲しい」
 ベルントは気が進まない、と言った様子でしばらく沈黙した。アスティアは表情を一切変えず、彼の返答を待つのみ。セシルは仔犬を抱えたまま、固唾をのんで立ち尽くしている。
 やや置いたところで、ベルントは声を震わせながら話し始めた。
「襲撃は唐突、崩壊は一瞬だった。赤い月が昇る宵の刻、何の前触れも無く空を埋めた魔物たち。そして、内通者でも潜んでいたのだろうか。計ったかのように城内にも入り込んでおり……体制が整わなかったこちらの抵抗など空しく、気が付けば片っ端から虐殺が始まっていた」
「ルナフィーリア王女殿下の行方に、心当たりなどは」
「わからない。お……おれは襲撃の最中、全てを置き去りにして逃げ出してしまったのだから……!」
 アスティアは、その発言に瞠目する。
「護るべき立場にありながら、城を見捨てたと言うのか」
 ベルントは手の平で顔を覆い、声を荒げて訴える。
「怖かったのだ! ――判るか? 目前で襲われ、裂かれ燃やされる人々の音、悲鳴、狂気。今でも脳裏に焼き付いて離れないこの恐怖が! おれは悪くない……あの状況では誰も非難する事は出来ない! あの地獄を知らない者に一体何が判るのだッ!」
「取り残された者はそれ以上に恐怖した事だろう。それ以上は、命を賭して使命を全うした者たちへの侮辱に値する」
 喉元まで込み上げている感情を押さえ、アスティアはあくまで冷徹に言葉を選ぶ。
 下を睨みつけていたベルントは、絨毯に爪を立てて震える。
「判っている……故に、恥を晒して生きるくらいなら――と、何度も思った。だが、私にはそれすら出来ないでいる。死が怖くて自害する事も出来ない」
 これには、セシルが黙らなかった。
「……何か、勘違いしてませんか。生きる事は恥なんかじゃないはずだ」
「セシル」
「過ぎた事を責め立てる気なんて無い。だけど、命を絶つ事は本当の償いになんかならないよ。本当に償いたいと思うなら、祈り続ける他にやるべき事が在るはずではないですか。折角生き残れたのに、自害とか――もっと命を、大事にする事はできないのですか……?」
「キャンッ」
 仔犬が一度、大きく吼える。そしてセシルの手からもがき出ると、ベルントにぴたりとすり寄り、その鼻面を腕に押し付けた。まるで、慰めるかのように。
「……私は、自分が情けない……」
 ベルントは嗚咽を上げ、その場に泣き崩れた。
 その姿を見つめ、アスティアは艱苦に胸が締め付けられる。
 義務を捨て、忠義を捨て、護るべき者を置き去りにして逃亡を計ったベルントの行動は容認出来なかった。だが故郷を、全てを失い絶望に嘆く兵士にこれ以上、何を告げれば良いのだろう。
 軽佻な言葉を吐く事は許されない。それは理解しているつもりだ。アスティアには、ベルントが目にした光景を知る事など出来ないからだ。
 そのような態様で一概に責め立てるなど、この上なく愚かな事だろう。
 未熟すぎる、言葉足らずの己に苛立つ。
 アスティアとて、恐怖に負け、逃亡したくなる気持ちが判らない訳ではない。むしろ己がその立場に代わったとしたら、逃げ出さすにいられるのだろうか。
 護るべき立場の者として、最後まで大事なものを守り抜く事が出来るのだろうか。
 アスティアはベルントから視線を背け、ルビス像を一瞥した。天地創造の聖霊神は物言わず、穏やかな瞳でこちらを見つめている。
 睨み返すように眉間を寄せ、下ろしていた拳を握りしめた。
「……俺は、何があろうと絶対に逃げない」
 勇者、ロトの名に誓う。――命を賭してでも、最後まで戦い抜いてみせる。
 その為に国を離れ、ハーゴン討伐を決意したのだから。
「協力に感謝する。邪魔をした」
 簡潔に礼を述べ、アスティアは踵を返す。話す事が無くなった以上、長居は不要だった。
「あ、アスティア!」
 セシルは慌ててその背を追ったが、すぐに足を止める。振り向き、今だ俯いたまま肩を震わせているベルントに告げた。
「あの。辛い事、話してくれてありがとう。どうかあまり気に病まないで、……生きて」
 反応が帰って来る事は無かった。それでも構わず頭を下げ、今度こそアスティアを追って駆け出した。
 ベルントの側に残った仔犬は、去って行く二つの背中を寂しげに見つめている。




◆    ◇    ◆    ◇


 黒紫に腐敗した土壌から、霧のように瘴気が漂っていた。
 骨組みがむき出しの城門を抜け、奥へ進むにつれて酷くなる吐き気を堪える。
 冷静に視察を進めようとする方が困難だった。行く場所目にする場所、廊下も、兵士の詰め所も、食堂も、聖堂も、謁見の間も全て――存在するのは瓦礫と、夥しい数の屍骸。
 腐敗が進んだ者、白骨がむき出しになった者、群がるカラスたち。
 通りすがった宝物庫と思われる場所は特に荒らされており、金目の物は根こそぎ消えていた。
 目を覆いたくなる、救いの無い光景が次々に飛び込んでくる。
 互いに絶句したまま一通り歩き、最後に辿り着いたのは庭園と思われる広い場所だった。
 そこでアスティアは発見する。焦げ付いた石畳の上、無造作に転がっていた杖。そして、拉げた王冠。
「ムーンブルク王はここで、崩御されたのか」
 風が吹き抜けた。悲鳴にも似た声を、上げて。
 かつては優雅に咲いていたのだろう。今は枯れ朽ちたツルばらが、アーチで悲しく震える。
「――うっ……」
 嗚咽。セシルを見遣れば既に、涙でぐしゃぐしゃだった。
「こんなに……こんな事があるなんて、僕は、ああ……ルビス様――!」
 祈りとともに、とうとう膝を付く。
 アスティアは無言のまま、静かに拳を握りしめた。
(城が墜ちるとは、こういう事なのか)
 身体が戦慄する。現実を噛み締め、アスティアは慨嘆に耐えきれず天を仰いだ。
 ――ムーンブルク城。
 栄華を誇ったとされるその城は、想像を絶する程無惨に汚されていた。
 それぞれ無言のまま祈りを捧げていた時、不意にセシルが顔を上げた。
「どうした」
「何か、不思議な魔力を感じる」
 一言返した後、集中して周囲を窺い始める。アスティアには何も感じられなかったが、分野が違う。口を噤んで成り行きを見据えていると、セシルははっきりと元を探り当てたらしい。ある方角を向いて立ち上がった。
「こっちからだ。行ってみよう!」
 彼の後ろに付いて庭園を抜け、辿り着いたのは地下に続く階段だった。庭を管理する為に建てられたものなのだろうか。
 セシルは躊躇い無くその階段を下って行く。最奥には、一枚の扉。
「此処から感じる」
 呟き、セシルは恐る恐る取っ手をつかんだ。奥へ押すと蝶番が音を立て、ドアが開く――その瞬間、アスティアは表情を引き締めた。殺気。
「下がれ!」
「わッ!」
 アスティアが声を上げると同時にガッと扉が引かれ、中から飛びかかってくる何か。その刃先は動転したセシルに向いている。アスティアは咄嗟に剣を引き抜き、その一撃にぶつけた。散る火花、音が反響する中で、アスティアは襲いかかって来た輩と対峙する。
「え……!」
 セシルが驚きの声を上げる。アスティアは、その出で立ちに息を呑んだ。
 目の前で構えていた者が、満身創痍のムーンブルク兵だったからだ。
「おのれ……貴様らも城を荒らそうとする者か!」
 ギラギラした眼がこちらを威嚇する。アスティアは即座に剣を下ろし、体制を整えた。
「違う。私はロト第一国家ローレシア王子、アスティア・グラシエール。ムーンブルク陥落の報を受け、視察に訪れた」
「ぼ――僕も同じくロト第二国家サマルトリア王子、セシル・レオン・リリスレイ。決して、荒らし目的に参った訳ではありません!」
 名乗りの後、兵士はゆるゆると瞳を見開いて行く。
「ローレシアと、サマルトリアの、王子――?」
「断り無く城内へ侵入した事は許して欲しい。――剣を引いて頂けるだろうか」
 頷きと共に請うと、兵士は剣を下ろして詰め寄って来た。
「で……では、伝令使は無事にローレシアへ」
「案ずる事はない。勇敢な伝令使の、命を賭した尊い報告によって、ムーンブルク崩壊の報はしっかりと伝えられた」
「ああ……ルビス様」
 はっきり答えると、兵士は支えの剣にすがるよう、ずるずるとしゃがみ込んだ。
「ローレシア王子様、サマルトリア王子様――御無礼を、どうか御許し下さい」
「構わない。それより他に、生き残りは」
「私の他にはもう、誰も……ですが、第一王女様だけはどこかで生きておられるはずです」
「第一王女――ルナフィーリア殿下の事!?」
 一番知りたかった事を確信めいた瞳で話され、セシルが身を乗り出してきた。兵士は頷いて続ける。
「私は、王女様がハーゴン軍の魔導師に呪いをかけられた後、バシルーラ(移転魔法)で何処かに飛ばされてしまうのを見ました」
「呪い、とは」
「――姿を、獣……犬に変えられてしまったのです。何故、王女様だけ殺さなかったのか判らない――だが、それは我々の希望となりました。どうか王女様を探し出し、御救い下さい!」
「無論だ」
 即答すると、兵士はそこでようやく、表情を和らげた。
「王女様の呪いを解くには、ムーンブルク王家に伝わる宝、真実の姿を映すと言うラーの鏡が必要になるでしょう。ラーの鏡はこの大陸の東、四つの橋に囲まれた沼の中に封印されていると言います」
「判りました。それを見つけて、ルナフィーリア王女殿下を必ず助けます」
「よかった……私は、これを誰かに伝えるまで死ぬ訳にはいかなかった。だがこれで、ようやく……。必ず、王女様、を――――」
 最後の言葉が掠れ、ぷつんと糸が切れるようにそのまま崩れ落ちた。アスティアはその身体を抱きとめて、その冷たさに凍る。
「何故こんなに、冷たい」
 声が僅かに震えた。セシルは更に震え、涙に湿った声で答えを寄越す。
「この人はきっと、とっくに死んでいたんだ。でも思いが深くて死にきれなくて、彼の中の魔力と、強い意志の力が魂を地上につなぎ止めていた。秘密を託す事が出来る、誰かが現れるまで」
 セシルの言葉に目の奥が熱くなる。
 安堵した表情で眠りについた亡骸を丁重に下ろし、その腕を胸に組ませた。
 黙祷を捧げた後、アスティアは決意と共に立ち上がる。
「ラーの鏡を探索する」
「うん……!」
 ルナフィーリア王女の生存。
 今はそれだけが、絶望に見え隠れする微かな光明だった。




◆    ◇    ◆    ◇


 四つの端に囲まれた沼地にラーの鏡は眠る。その話を頼りに、二人はムーンブルク大陸の中程に存在していたその場所を探し当てていた。
「東、西、南、北……全部の橋が見える沼。間違いなく此処だね」
「本当に、こんな場所にそのような物が隠されているのだろうか」
 アスティアは半信半疑で水面を覗き込む。沼事態は透き通っているのだが、どうにも不穏な色で満ちていたのである。
 セシルも沼を覗きこみ、そこで確信めいた頷きを寄越して来た。
「この沼地からは不思議な魔力が感じられる。恐らく、盗難防止か何かのバリアが張られてるんだと思う」
「厄介だな」
「トラマナ(バリア解呪)が使えれば良いんだけど、僕の能力ではまだ完璧じゃなくて。アスティアはトラマナ、いける?」
 思ってもいない質問を受け、アスティアは内心動揺する。だが、表面上はいつもと変わらず冷徹な表情を貫き、答えた。
「申し上げていなかったか。私に魔力は皆無。残念ながら、操る事はできない」
 この発言には、セシルが瞠目してしまう。
「え、でも、アスティアはロトの王族でしょ」
 何度、耳にした言葉だろう。
「何にでも例外が在る、という事だろう」
 ため息交じりに淡々と告げると、セシルは数秒絶句する。言葉を選んでいるのか軽い百面相を披露した後、無難なセリフを口にして来た。
「噂で聞いた事があったけど……本当、だったんだ。辛くなかった」
「――無い物強請りをしても、何も始まらない」
「君は……強いね」
 こちらの思いを見透かしたのか、セシルの呟きが切なさを含む。アスティアは苦笑し、肩を竦めて視線を外すしかない。
「では、力技で散策しなければならないと言う訳だな」
「そう言う訳だね」
 空気を切り替えるように腹を据え、両者共に沼の中へと踏み入った。その途端、背筋を駆け巡るの何か。体力が奪われるようなその感覚に、全身が粟立つ。
「うわ……結構来るね」
「無理をせず、慎重な捜索を」
「うん。アスティアも無茶しないで」
 頷きを受けた後、早速作業を開始する。と言っても原始的なもので、水の中に手を突っ込み、中腰で底の泥を探っていくと言う手間のかかるやり方だった。
 その体制で、ややおいた頃。
「ところでさ、アスティア」
 セシルが、ぽつりと話しかけて来た。目で返答を返すと、彼は一言。
「君ってさ、ホントは『俺』なのか?」
 この、藪から棒な話題振り。
 思ってもいなかった事を尋ねられ、アスティアは何度か瞬きを繰り返す。
「何故――唐突に、何を言い出すのかと思えば」
「だってこの間、ベルントさんの所で言ってただろ。『俺は逃げない』って」
「……聞こえていたのか」
 周りに聞こえるかどうかの、僅かな声だった筈だが。
 表情を固めたまま思い返していると、セシルはクスリと笑った。
「耳は良い方なんで。結構熱いよな、君も」
「セシルには負けると思うが」
「いや、どっこいどっこいだね」
 何故か勝ち誇ったように言われて気が抜けた。
 それでもセシルは畳み掛けるよう、更に続けて、
「じゃあ、今度から君の事、アスって呼んでいい」
 セシルの黄金パターンが来た、と、頭の隅で思った。
「何故そうなる」
「君と仲良くなってみたい。君をもっと知りたいんだ」
「だから、そのような愛称で呼びたいと」
「そう」
 久々のマイペース地獄だ。
 ジッと見つめられ、視線を合わせれば輝きのオリーブグリーンに捕われる。この純粋な深さは、少し怖いと思った。
 こうなるともう、勝てない事は学んでいる。
「ふぅ……了解した。もう、好きに呼ぶといい」
「やった。じゃあ、アス! 一人称も『俺』でいいよ。これからもよろしく!」
 諦めて返答すると、セシルはぐっと拳を握り、作業に戻って行った。
 その姿を見て、勝手に苦笑が込み上げてくる。
 でも、正直に嫌では無いと、思っていた。アスティアにとって、ここまで気を赦してもいいと思えた相手は久方ぶりだったのだ。
 王宮に居た頃。近寄る連中は大抵、権力を笠に着たいだけの輩だった。
 男も女も、諂う腹の中に必ず何かを隠している。常に探り合いだった。こちらを利用してのし上がりたがる輩を、いかに上手く利用し返してやるか。
 対人関係というものは常に駆け引きなのだと、一時も気を抜く事はできなかった。
 セシルと付き合ってまだ数日だが、どうやら彼には感情を殺し押し隠す、という概念が無いように思えて来た。少しの感情でも全身を使って素直に表現する。だから哀しければ躊躇いも無く泣くし、腹が立てばストレートに怒るし、楽しければ腹がよじれる程大笑いしている。とにかく裏表が見えない。
 それどころか同じロトの王族でありながら、呪文を使えない事を蔑まずに受け入れ、流してくれたのは彼が初めてだった。
 今まで極力自分を押さえるよう生きて来たアスティアにとっては、その優しさと潔い素直さが心地よく、眩しく、そして――羨ましくもあった。
 考えにふけりながらも手を止めずにラーの鏡を探索し続け、小一時間程過ぎた頃だろうか。
 泥を探る指先に、何かがコツンと触れた。物体に指を這わせてみれば、細長い箱のようだった。泥の中からそれを引き上げて確認すると、木箱。しかもその表面には――
「セシル」
「なに、見つけたー?」
「恐らく間違いない」
 確信めいた言葉を発するアスティアの手にある、木箱。その表面に取り付けられていたのは紛う事の無い、ロト王家の象徴――ラーミアの紋章だった。
 早速沼から上がり、木箱を開けてみる。中に収められていたのは円形の鏡。泥に塗れてはいるものの、繊細な装飾が施された枠を見る限り、上等な代物である事は判った。
 手に取り掲げてみると、すっかり泥に塗れた己の顔が映し出される。
「うわー……お互い台無しだねえ」
 同じく泥まみれの顔をひょこりと映す、セシル。
「真実を映す、鏡……か」
 どんなに見つめても、自分の顔しか映らない。
「それにしても、姿を変えられたって……ん、犬?」
 はっと顔を見合わせた。
「まさかあの犬!」
 互いに指差しあい、声が重なる。
「きっとそうだよ。やたら賢い仔だったし、雌だった」
「いつ確認した」
「抱っこした時」
「仮にも王女だったらお前」
「……。不可抗力だよ。気にしな~い!」
 バシッと肩を叩き、笑い飛ばしたセシルだった。
「とにかくモノは試しだよ。やってみるしか無い」
 それには同意し、二人は再びムーンペタへ向かう。




◆    ◇    ◆    ◇


 教会の、祭壇前。
 仔犬はそこに、ちょこんと座っていた。
 扉の音に反応して振り向いた仔犬は、こちらの姿を目にした途端にその尾を大きく揺らして駆けて来た。
「わっ、僕もまたあえて嬉しいけど! 舐めるのは止めてよー!」
 セシルはその小さな身体を抱き上げ、ぺろぺろと顔を舐められながらも笑う。
 ひとしきり再会を喜んだ後、セシルは表情を引き締めてアスティアを見た。彼も頷き、荷物からラーの鏡を取り出す。セシルは仔犬を地面に下ろし、その背をそっと押さえて囁いた。
「少し、じっとしてるんだぞ」
 セシルに支えられた仔犬は不思議そうにしていたが、アスティアの抱えている鏡を目にした瞬間、動きを止めて身構えた。大人しくなった所で、アスティアは仔犬の目線にラーの鏡を向けた。
 その、瞬間だった。
「わ……ッ!」
 セシルが声を上げ、アスティアは震えだした鏡に驚愕する。
 鏡がビシリと鈍い音を弾いた途端、細かく砕け散る――!
 粉のようになった破片は、太陽の光を反射させながら宙に舞う。まさに光の雨のように降り注ぎ、目も開けていられない眩しさに一瞬、目を閉じた。
 光の洪水が収まる頃。
 恐る恐る目を開けて見たそこに、仔犬の姿は既に無かった。
 変わりに現れた存在に、アスティアは息を飲む。
 絹一本纏わない姿の少女。痩せてはいるものの、緩やかな曲線を描くしなやかな肢体はバランスよく美しかった。
 ゆっくりと持ち上げられた長い睫毛の向こうに現れたのは、澄んだポピーレッドの瞳。それは、先程の仔犬とまったく同じもの。
 彼女は身体を隠す事もせず、セシルに支えられたままこちらを見上げて動かない。すべやかな肩を滑り、するりと胸へ降りたはちみつ色の一房が、時の動きを告げる。
 居心地悪さに視線を逸らしたアスティア、その状況で、少女の背後にいるセシルも我に帰る。慌てて羽織っていたマントを外し、しっかり肌を隠した所で、セシルは彼女の正面に移動した。そして、出来るだけ柔らかな口調で声をかけた。
「大丈夫、ですか」
 少女は、セシルの態度が突然変わった事に戸惑ったのだろう。ぎこちなく頷く。
「貴女はムーンブルクの、ルナフィーリア王女殿下――で、間違いはありませんね」
「何故、解るの」
 掠れた声が微かに肯定を示し、彼女――ルナフィーリアは更に驚いたようだった。
「声が。どうして……私……?」
 両手を見つめ、手首、肘、そのまま胸元まで視線を動かし、自分の姿を理解したのか、マントを引き寄せた。
「御無礼を御赦し願いたい。私はローレシア第一王子、アスティア」
「同じくサマルトリア第一王子、セシルです。覚えて、おいででしょうか」
 名乗りの後僅かだが、ルナフィーリアの瞳に表情が宿った。
「夢のよう」
 小さく呟いた後、ルナフィーリアは深々と頭を垂れた。
「……心より感謝致します。アスティア殿下、セシル殿下。もうずっと、あのままなのか、と思っておりましたわ」
 ルナフィーリアに答えるよう、二人の王子は洗練された所作で礼を取る。
「もうご存知かとは思いますが、ムーンブルク城はハーゴンの軍団に襲われ――私は、呪いで犬に変えられ、此処に飛ばされました。今頃、ムーンブルク城は……いえ、今は考えない事に致しましょう」
 そこまで話し、目を伏せた。その顔は血の気を失っており、華奢な肩は震えている。
「その方がよろしいかと。酷く衰弱されているよう見受けられます。まずは、十分に休んで頂きたい」
「お気遣い、ありがとう」
「アス、僕は一足先に宿を手配してくる」
「頼む」
 一声掛け、セシルは街へと走り出す。その姿をちらりと見送った後、アスティアはルナフィーリアの前へ跪いた。
「失礼」
「……、お待ちになって。私の足で歩かせて」
「しかし、裸足のままでは」
「人の身に戻ったからには、この足で歩きたいのです」
 その瞳に浮かぶのはプライド。理解してアスティアはグローブを外し、その手を差し出した。
「では、御手を」
「ありがとう」
 そっと乗せられた指は白く、細い。
 支えに頼りながらも、ルナフィーリアはし二本の足でしっかりと立ち上がる。

 三人の、十年ぶりの再開だった。

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