ルーナメモ:01


  ルーナメモ:01


 幸せだった。
 私は恐らく、世界中の誰よりも幸せな姫君だった。だから――あの幸せが壊れてしまう日が来るなんて、予想すら出来なかった。

 私は今日も喉を渇かし、お腹をすかせて、汚い路地の隅を徘徊しながら空を見る。四角に区切られた青は高く、遠く――。ぽっかり浮かんだメレンゲのような雲が憎くて、私は地面を睨んだ。
(……お腹が空いたわ……)
 訳が分からない。何故私は、四つん這いのこんな姿で日影にいるのか。
 目覚めたら、私は知らない土地で犬になっていた。
 あの日の事は、途切れ途切れにしか思い出せない。
 ムーンブルク城。美しいばらが咲き誇る庭園で、お父様と夕の散歩を楽しんでいた。そんな私たちを急襲したのは、空を覆い隠すほどに大挙してやってきた魔物たち。瞬時に燃え上がる庭園、城、悲鳴、そして……逃げ切れず、追いつめられた私が次に意識を取り戻したのは、この街の門だった。
 そして知る。自分の姿が、見る影も無く変わってしまっていた事を。そして、ムーンブルクは魔物の手に寄って完全に滅びさったと聞いた。血の気が引いた。
 でも私は、この目で見るまでは信じない。真実を知るまでは、こんな姿でも生き延びなければ。泥水を啜る事にも慣れた。道端の水たまりで喉の渇きを癒し、前を向く。
 黙っていても食事は出てこない。
 私は食べ物を求めて、今日も街を這い回る。

 茜が包む夕暮れの大通りで、一際目を引く二人連れを見かけた。私は思わず目で追った。
 一人は背の高い、どこか近寄り難い空気を持つ青い服の男。もう一人は緑色の法衣を纏った、優しげな雰囲気を持つ金髪の男。明らかに旅人と分かる風体だった。
 二人は街を散策しながら――と言ってもその目は観光をしている風ではなく、厳しいものだった――武器屋に入って行った。
 彼らに興味を持った私は中を覗き込むように、戸口に寄って様子をうかがった。すると、私の視線に青い方の男が気付いた。振り向いて、私を見つめる。怪訝そうに。
 私は身構えた。それ以上動く事は出来なかった。大きい。威圧感。
 切れ長の一重、氷のような、薄い青の瞳。一見怖い。その目で私をじっと見つめ、男はやがてこちらに歩いてくる。
「おいで」
 屈みこんで呼ばれたので、警戒しながらも逆らわず側に寄った。この不思議な感覚に興味があった。
 私の前に伸びた手。驚いて見上げたその目は、何故だか優しかった。少なくとも、小汚い犬を邪険にするようなものではなかった。
 ご丁寧にも手袋を外して、この薄汚れた毛皮に触れる。とても気持ちがよかった。もっと触って欲しいと思って顔を手に押し付けた。ああ、私はこうして犬となり、順応して行くのだろうかと思ったら少し悲しくもなった。対する男はそんな私に嫌な顔せず、少し笑って、
「お前は野良か? 随分、痩せているように見受けられるが」
 低すぎずに通る、響きのよい声でそっと尋ねられる。雰囲気、振る舞いや言葉使いで、この人は貴族の出なのだろうと悟った。しかも上級の。
 質問に答えられたらいいのにと思って顔を見上げて、ああ……やっぱりこの人は、なんだか懐かしい。それ以上に撫でられる事が気持ちいい。だんだん、考える事が面倒になってくる。
「えーいもう負けだ! あんたの言い値でいいよ」
「ありがとう! 大事にします」
 不意に上がった声に、私を撫でる手が止まった。顔を上げると、後ろで何やらごちゃごちゃやっていた緑の方が満面の笑みでこちらにやってくる。
 私は、その時初めて驚愕した。
(サマルトリアの、セシル王子……!?)
 私は息を呑む。まさか。まさかであるのだとしても何故、隣国の王子であるあの人がここに? けれど彼の顔、なによりその独特な空気を間違えるはずが無い。一度しか合った事が無かったけれど、大好きだった。
 そこで私はハッとする。では、こちらの青い方は――ローレシアの、アスティア王子――?!
 だとすればこの感覚に説明がつく。抱いた懐かしさはそのせい。ただ、アスティア王子に関しては随分雰囲気が違っていたので、気付く事が出来なかった。今も半信半疑。
 何せあの時の彼は終始事務的で冷たかったし、こんなに優しい目を見せたりはしなかった。まじまじ凝視していたけれど構わず、彼はセシル王子を見上げて尋ねる。
「終わったか」
「ばっちり。って……何してるの。犬?」
「何か、此方を見つめているのでつい、な」
 彼は柔らかな眼差しで私の頭をぽん、と撫でた後、立ち上がった。そして差し出された剣を背負うと、表情を変えて視界から私を消して、
「では、次へ向かおう」
「ん、そうだね」
 セシル王子が私を見てニコッと笑い、手を振って前を向く。アスティア王子は振り返りもしないで行ってしまう。
(あ……っ)
 ぽかんとしていた私は慌てて、角を曲がる二人の後を追いかけた。
 嫌だった。置いて行かないで。この姿になって初めて安らげたのに。
 ねえ、もっと側にいて!

関連記事

コメントの投稿

Private :

カレンダー
10 | 2018/11 | 12
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
カテゴリ
掲示板
感想、連絡等、お気軽にどうぞ♪
個別記事拍手で頂いたコメントの
お返事もこちらにて!
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
カウンタ




2006.12.07開設

ここ創ってる人

Author:愛琳

このページのトップへ