LEVEL:08  適材適所、よ


   LEVEL:08  適材適所、よ

 鼻を突く異臭に眉をひそめる。
 むわりと生暖かく湿った空気が淀む、狭く、暗い牢獄。ぐにゃりと曲げ折られた格子の向こうには、夥しい量の血に塗れた男が横たわっていた。昨日、男は白い装束を着ていたはずだった。しかし今は、その胸元からどす黒く染まっている。 
 中に進み、格子の状態を観察する。焼けたような匂いと、溶けている切り口。おそらく、熱を発する呪文かなにかで破ったのだろうと推測される。
「一晩中見張りを立ててはいたのですが、ふとした隙を突かれたようでして」
 おずおずと看守長が申し出る。
「他の囚人は」
「昨夜はこの男だけでした」
 では目撃者も無し、か。アスティアは胸中で舌打ちし、亡骸へと屈む。男の顔を隠していた、のっぺりとした白い仮面とフードは既に外されている。己とそう変わらない年端の若い男だった。表情は無く、抵抗した形跡も無い故におそらく、意識を失ったままの状態で胸を突かれ即死したのだろうと推測される。口封じに殺されたと見て間違いは無い。
 意識が戻り次第、邪神教徒――延いては大神官ハーゴンについての聴取をする手筈だった。折角掴んだ尻尾だったが。落胆と、簡単に末端を始末できるその体質に憤りと嫌悪を覚える。
「この者は、街の若者なのです。昨日、仮面を外して見知った顔に驚きました。漁師の息子で、志の高い青年だったのですが――」
 看守長が、潜めた声を震わせた。アスティアは俄かに信じられない、厳しい表情で看守長に目を据える。
「あの白装束の連中は街で、必死に教徒を募っているようでした。彼はおそらく、その熱心さに心動かされたのでしょう。街でも、ルビス様の信仰にそう厚くない若者層が数人入信したという事実も耳にしていました。定期船が欠航になる前の噂では、ラダトームで教徒が増えている、とも聞いていたのです」
 看守長の言葉に、アスティアは眉間を寄せて頷く。彼は肩を落として続ける。
「――皆、ムーンブルクが陥落した事で、きっと不安なのでしょうね。あの時から魔物も比較にならないくらい増えました。得体の知れない神でも、信仰する事によって身の安全が保障されるなら、縋れる物には縋りたい。そう思う者が現れてもおかしくはありません。影響を受けやすい若い方ならば尚更です。が、しかし……永劫の平和を約束すると謳う教団が何故、こんな惨い事を」
「解り兼ねる。が、このように悪辣な真似を行う輩に、永劫の平和などと謳う資格は無い」
 語尾を強く言い、アスティアは男の手を腹に組ませて立ち上がる。
 この男は加害者であり、被害者でもあるのか。複雑な思いが胸を過った。


 朝焼けに煙るルプガナの街。眠りから覚めたばかりの街はまだ静かで、人の姿もまばらだった。すれ違うのは朝市の準備に勤しむ商人と、飲み暮れていたような酔っぱらい位か。
 瑞々しい空気を颯然と歩くアスティアは、ルキーノの邸宅に戻る道中だった。
 夜も明けきらぬ頃。自治体の守備に引き渡していた白装束の男が、何者かによって殺害されたとの報を受け、牢獄のある守備兵の詰め所に呼び出されていたのだった。
 あの凄惨な現場と、男の正体を知った今。どんなに朝の光景が美しくとも、心には響いてこない。やり場の無い憤りを飲み込んで、アスティアは朝のルプガナを黙々と歩き抜ける。
 邸宅の門に着き、割り当てられていた部屋へ戻ると、ベッドサイドで不安げな顔をしているセシルと目が合った。
「どうだった」
「救い様が無い」
 アスティアは素気なく答えて部屋の中を進み、そのままソファに腰を沈めた。深く長く息を吐き出し、気持ちを落ち着けるように呼吸する。そうしてから改めて顔を上げると、視界に、アスティアが眠るはずだったベッドが目に入る。そこにはルナフィーリアがいる。規則正しい呼吸から、彼女はまだ、深い眠りに落ちていると推測できた。
 昨夜は結局、個室を与えられたにも関わらず、三人一つの部屋で夜を明かしてしまった。
 ルナフィーリアは泣き疲れたのか、いつの間にか寝入ってしまった。目覚めた時も側にいたいから――そんな理由で、セシルは傍らの椅子にて一睡もせずに彼女の手を握り、そこで過ごした。アスティアは今腰をかけているこのソファで、同じく一睡も出来ないままで今に至っている。
「すべてを奪う代わりに――か」
 ルナフィーリアと、添うセシル。彼らを見つめて口から出たのはほんの、小さな独り言だった。何となく呟いてしまったそれに、セシルが苦笑する。
「すごい事言ってしまった」
「後悔しているのか」
「全然」
 アスティアの問いに、セシルはふふりと微笑んだ。一見穏やかな、しかし揺るぎの無い決意の瞳にアスティアは短く嘆息し、二人から目を離す。セシルはルナフィーリアに視線を下ろしたようだった。
「ただ、もう……見て、いられなかったんだ。泣きもせず、ただただ憎しみに駆られて前を失っていく彼女が。僕は彼女に、悲しみや憎しみなんかを生きる糧にして欲しくなかった。言葉に軽い気持ちは一切無いよ。彼女が望んでも、望まなくても、何かの形で必ず支え続ける。僕の一生を使っても構わない覚悟だ」
「セシル」
 どこまでもまっすぐに言い切ったセシルに、アスティアは言葉をすべて飲み込み、静かに名を呼ぶだけでとどめた。顔を上げ、改めて見たセシルは、春の日差しのように柔らかな瞳でルナフィーリアを見つめている。
 一個人の悲しみや憎しみを奪いさる、など、まず出来る事ではないとアスティアは思う。それでもこの、真剣なセシルを否定する事は出来なかった。
 少しだけ、部屋の中を沈黙が包む。朝の日差しが入り込む窓辺。すう、と伸びた影がカーテンの隙間からこぼれ、ルナフィーリアの頬を温かく照らす。
「う……ん」
 その光で目覚めたのか、ルナフィーリアが声を上げた。視線を向けると、はちみつ色の睫毛に縁取られたポピーレッドの瞳が、ぼんやりと宙を彷徨いながら視点を定めていく。
「おはよう、ルナフィーリア」
 覚醒しかけている彼女に、先に声をかけたのはセシルだ。
「あ……おはよう、ございます、……――」
 ルナフィーリアはセシルの挨拶に小さな声で返し、ふと繋がれたままの手に気付いたのか、息を呑んだ。その頬は柔らかなばら色に染まっている。どちらからともなく手を解いた。
 ルナフィーリアはベッドから上半身を起こし、羞恥が勝っているのか伏し目のままで、
「昨日は……その。……見苦しい所を見せてしまいました。それに、今もみっともない顔で恥ずかしい」
 ルナフィーリアは切れ切れに呟きながら、自由になった手で顔を覆った。指の隙間から除く目許は、泣き濡れた為に赤く腫れている。
「今朝はどう」
 セシルが尋ねると彼女は僅かにためらったものの、手を外して素直に返答する。
「少しだけ、目の辺りが痛いくらいで、体調に支障はありません」
「あとは?」
「あとは――――騒ぐだけ騒いで泣いたら、少しだけ、楽になったようです」
 そう話して視線を上げた彼女の顔は、まるで憑き物が落ちたかのように幾分晴れやかだった。セシルもそれを感じ取ったのだろう。
「うん。顔色もだいぶ良くなった」
 彼は目許を優しく微笑ませながら頷いた。ルナフィーリアははにかむ様に俯いた後、視線をセシルの後ろにいたアスティアへと動かす。アスティアは黙ったままだった。ルナフィーリアの何か訴えるようなその視線に眼で頷くと、彼女はまっすぐにこちらを見つめて口を開いた。
「アスティア様。――昨日のことを踏まえても、私はこれ以上、お二人の足を引っ張る訳には参らないと考えております。けれど、――……。私の今後については少しだけ、時間を頂けますか。私は、どうするべきなのか」
 改めて真摯に話す彼女にアスティアは頷き、
「じっくり御考え頂きたい。形がどうあろうと私は、殿下の御答えを尊重する所存です」
 そう、答えた。受けたルナフィーリアは柳眉を寄せ、申し訳なさそうに視線を落としながら、
「その、……アスティア様。――私はずっと、貴方が羨ましいばかりに、貴方に随分酷い事を言いました。酷い行動も……。許して欲しい等とは言えないのですけれど、私、……」
 ルナフィーリアは不安気な表情のまま、それ以上を告げられないのか黙ってしまった。
 アスティアは内心苦笑する。彼女の言いたい事は大体、その過ぎるほどしおらしく沈んだ表情が語っている。
「私の事など御放念頂いて構わない。それよりも私は、激情で貴女を手荒く扱ってしまった事を御許し頂きたいのだが」
「そんな――、あれも全て私が引き起こした事だわ! 許すも許さないも、私にそのような資格なんて、ありません」
「では、相子と言う事で水に流しませんか」
「アスティア様」
 返答を見越しての発言だった。さらりとそう口にしたアスティアに、ルナフィーリアは目を丸くして名を呼ぶ。それには口角を上げて答えた。彼女は途端に緊張の糸がほぐれたのか、頬を上気させたまま目を伏せる。
「ありがとう……アスティア様」
 そして深く、頭を下げるのだった。
 確かに、ルナフィーリアの暴言とも取れる発言は心に刺さるものが多く、未だに引っ掛かりを覚えないわけではもちろん無いのだが、それをいつまでも引きずり続ける事を選択するアスティアでは無い。
 今はきっと、これでいい。
 その理由は、今目の前にいるルナフィーリアの幾分穏やかになった表情と、心底嬉しそうに双方の顔をこっそり見比べているセシルの笑顔にあるのだと思う。
 これでいい。




◆    ◇    ◆    ◇


 アレフガルドへ出港する為の船の準備が整うまで、アスティアたちはルプガナの街で待機しなければならなかった。その間に自分たちの物資を調達する必要もあったので、三人は街へと繰り出していた。
 午後に掛けて露店を巡り、薬や聖水などの道具を一通り見繕ったところで、三人は先日立ち寄った、大通りに面した広場で休憩を取っていた。
「はい、ルナフィーリア」
「ありがとう」
 セシルがルナフィーリアに手渡したのは、卵色の薄い皮にジャムやクリームを包んだ菓子――先日、食べ損なった焼き菓子だった。彼女が遠慮がちに受けとる姿に、彼は満面の笑みだ。
「それじゃ、いただきます」
 そして彼は弾んだ声で食前の挨拶をし、手前の菓子にぱくりと食いついた。その姿を見つめた後、ルナフィーリアも恐る恐る口を付ける。その表情が綻ぶのと、セシルが美味しいを連呼しだすタイミングは一緒だった。
 菓子ひとつでよくもまあ、ここまで嬉しそうな顔ができるものだと、アスティアは密かに感心する。噴水のへりに腰掛けて嬉しそうに食べる二人を横目に、彼は街灯の柱にもたれて嘆息する。
 城にいた頃は、幾ら誘われようとも菓子や茶などを優雅に楽しむ時間は持たなかった。女子供でも有るまい。必要を感じなかったからだ。しかし菓子や茶は二人の様子を伺うに、ゆとりを産む為にも意外と必要な物だったのかもしれない、などとうっかり思う。――胸焼けしそうな甘い香りに、進んで食べたい、とは思わなかったが。
 そんな彼の手にあるのは、使い捨てのカップに入った冷たい紅茶だった。菓子と一緒に購入してきたようで、先ほどセシルに手渡されていた。一口含むと、すっきりとしたレモンの風味が口内に広がる。暑い中、二人の選ぶ荷物を運んで随分と歩いていた。おかげで渇いていた喉に、冷たさが優しい。
「セシル」
 そんな時ふと。ルナフィーリアが何かに気付いた様子で、セシルの顔を見た。
「ん?」
「口元にクリームが」
 彼女はそう告げると、スッと指を伸ばしてセシルの口角に付いていたクリームを掬って少しだけ、目元を笑わせた。その仕草には流石の彼も動揺したのか。後頭部をかきながら照れ笑いを浮かべ、
「んはは、恥ずかしい。ありがとう」
「……」
 恥ずかしいのは見ているこちらだ。アスティアは半眼で、飲み終えたカップをギュッと潰す。彼らは今朝からこの調子だった。もともとは仲の良かった二人。子供の頃に感じた彼らの空気が少し戻っている事を最初は微笑ましいとすら思っていたのだが、今は――。
「セシル、他に必要なものは」
「え、あ、うん」
 空気を換える様に尋ねてみると、セシルは明らかに浮き足立った様子でこちらを見た。少し落ち着いたらどうか、とも思ったがあえて飲み込む。セシルは気を取り直すようにコホンと咳払いした後、
「薬類も買えたし、壊れてた水筒も買い換えたし――一通りは揃ったと思うよ」
「そうか。ならば、次は防具屋に寄ってもいいだろうか」
「防具屋?」
「盾を買い換えたい」
 アスティアは背負っていた盾を下ろしてセシルに見せる。鋼鉄の盾。城を出立してからここまで、さまざまな衝撃からアスティアを護り続けてきた盾だ。原形は留めているものの傷だらけて、欠けた部分や凹凸が随分と目立つ。
「随分ボロボロになったなー」
「あの魔物の数だ。この道中で随分くたびれてしまった」
「分かった。防御の要だもんね」
 セシルは食べ終えた菓子の包み紙やカップを回収しながら立ち上がり、ルナフィーリアを見る。
「そんなわけで次は防具屋に行くけど、いい?」
「ええ――いえ、私は先程の道具屋に買い忘れが。先にお二人で向かってください。私はそちらで用を足してから向かいます」
「独りで平気?」
「今は明るいですし。すぐに済みますから」
 ルナフィーリアはハンカチで口元をそっと拭った後に立ち上がり、アスティアに向かって告げる。目的としている防具屋と道具屋は目と鼻の先だったので、アスティアは頷いた。
「了解した」
 その返答にルナフィーリアは一瞬の間を空けた後、
「では、また後程」
 踵を返す刹那に見えたその口角は、僅かに上がっていた。道具屋へ向かうその背中を見送ると、意外だ、そんな目でセシルがこちらを見た。
「単独行動は駄目って言うかと思ったけど」
「過剰に制限するのも考え物だと悟った」
 遠ざかっていく、緩やかにゆれるはちみつ色の髪の毛を眺める。その足取りは幾分軽いようだ。
「な、アス」
 同じものを目で追うセシルが何気なく尋ねてくる。
「なんだ」
「昨日さ。僕が部屋に行く前、彼女と何があったの」
「……それにはノーコメントだ」
「えー、気になる」
「気にする必要は無い。行くぞ」
「あ、うん」
 腑に落ちない顔をしているセシルを促し、自分たちも防具屋へと向かう。

 そして二人が足を踏み入れたその防具屋は、武器も混合で取り扱う店のようだった。流石交易の街、とも言うべきか。そう大きくもない店舗なのだが、さまざまな武器と防具を揃えていた。橋が断絶する前はムーンペタとの交流も密だったせいか、鋼を使った武具も豊富だった。
「いらっしゃい、何をお探しで?」
 カウンター向こうから、店主が揉み手で営業スマイルを浮かべている。
「アス、どんな盾にする?」
「これと同じ形の盾を」
「鋼鉄の盾、ですな」
 アスが盾を見せると、店主は頷いて商品を出してきた。差し出されたそれを受け取り試着してみると、持ち手は新品の為幾分固いが、慣れた重さがしっくりと腕になじむ。これがいい。
「セシル、決めたいのだが」
「わかった。お幾らですか?」
 セシルは頷いてカウンターに進み、財布を開きながら店主に尋ねる。
「ええ、これでしたら二千ゴールドになります」
「にせ、……――!」
 瞬間。アスティアは、セシルの顔色が一気に青ざめるのを見た。財布を開いた彼の指先も軽く震えている。その妙な様子に、アスティアは一抹の不安を覚えて声をかける。
「セシル、どうした」
「いや、……すみませんが今はやめておきます」
「ん、どうしたんだい?」
「事情が変わりました。――アス、行こう」
「だが」
「いいから、出るよ」
 強硬な姿勢を取るセシルに、引っ張られるようにして店を出た。無言で先を行くセシルに困惑しながらも彼の後を歩き続け、道具屋の前に差し掛かると丁度、ルナフィーリアが店先から出てくるところだった。
「あら、もう用がすみましたの」
「それどころじゃなくなったんだ」
「?」
 セシルの切迫振りに、ルナフィーリアも怪訝な顔をする。
 その理由は、無言でルキーノの邸宅に戻った後、告げられる事になった。

「セシル、話してくれないか」
 邸宅の大広間に辿り着いた時、いい加減見かねたアスティアがセシルに尋ねると、彼はようやく足を止めた。そして振り返り、
「――お金が、尽きそうだ」
 セシルに深刻な表情で告げられたのはその、衝撃的な一言だった。彼の様子から危惧していたそれ。アスティアはそれでも、突きつけられた瞬間目の前が暗くなった。
 ルプガナでの滞在費は、ルキーノの屋敷で世話になっているので心配はない。――ないのだが。広間のテーブルに寄り、セシルが手にしていた財布をひっくり返すと、ゴールドが数枚落ちて来た。その金額は、――どうやら、新しい盾どころではないようだ。あと数日の生活費ならば賄えるかもしれないが、明らかに、これからの事を考えれば足りない。
「アスはあと、いくら持ってる」
「私の手持ちは、砂漠越えの仕度を整えた時点で既に尽きた」
「……私は、買い物前にセシルから渡されたあの金額ですべてです。初めから、お金なんて持っておりませんでしたし……」
 事態を察したのか、ルナフィーリアの顔色も若干青い。
 数秒、三人の間に沈黙が流れる。先程の緩やかな風はどこへ吹き抜けてしまったのか、それはそれは重い沈黙だった。
「セシル。あれは売れなかったのか」
 は、と思い出したアスティアが示すのは、ドラゴンの塔でセシルが命からがら拾って来た美しい糸。しかしセシルは期待空しく首を横に振る。
「うん……。実はあれ、びっくりするくらい湿っててさ。保管に困るんだよね。――あまりにも用途が不明だからって、何処も買い取ってくれなかった」
「ならば、どう工面する」
 アスティアが渋面に思案を巡らせる横で、
「……えっと、働く?」
 セシルは至極真っ当な事を口にするのだが、
「でも、どこでどのようにして――?」
 ルナフィーリアがさっくり斬った。
 露呈する。良くも悪くも、彼らは王子王女の集まりだった。仕事そのものは公務として行うが、日銭などは一銭も稼いだ事の無い身。
「皆様そんなところで集まって、なにかお困りですか?」
 額を付き合わせ、深刻に悩むその後ろから涼しげな声をかけられた。振り返ると、そこにいたのはフェデリカだった。
「実は――……」
 セシルは藁をも掴む思いだったのか。今にも泣き出しそうな顔で事情を訴えると、フェデリカは、
「それならお爺様に頼んで工面して頂けば――」
 さらりと言いかけた。
「待って、そう言う訳にも行かないんだ」
 セシルは慌てて提案を遮り、首を振った。何故、そんな顔をする彼女へ、アスティアが継ぐ。
「無理を言って船を出して頂く他、当面の宿まで世話になっている身。これ以上をルキーノ殿に手助けして頂く訳には参らない」
「でも、あなた方は私たちの命の恩人ですし……」
 フェデリカはちらりとルナフィーリアを見る。視線を受けた彼女は、今日は高圧的な態度は微塵も出さなかった。
「……気持ちはとてもありがたいのだけれど、フェデリカ。やはりこれ以上をお願いできる立場ではないわ」
 目を伏せてそう話すルナフィーリア。様子が違う彼女にフェデリカは多少困惑したようだったが、頷いて納得を見せた。
「解りました。では、他の方法を考えてみます。――ねえ、誰か?」
 フェデリカが奥に向かって声をかけると、僅かばかりの間を置いて執事が現れた。
「お嬢様、如何致しました?」
「ねえ、手っ取り早くお金を稼げそうな事ってないかしら」
「お嬢様が、でございますか?」
「違うわ、彼らが困っているの」
 フェデリカがアスティア達を示すと、執事はしばし思考をめぐらせた後。何かに思い至ったのか、にこりと微笑んで手を打った。
「それでしたら今、短期間で稼げるとても良いお話がございます」
「本当ですか!」
 一筋の光明か。セシルが顔を輝かせて飛びついた。逆にアスティアは一抹の不安に襲われる。
「……大丈夫なのか」
「きっと大丈夫だよ。何より動かなきゃこのまま行き倒れだし。ぜひ教えて下さい」
 セシルは有無を言わさず先を促した。
「では。港の裏にウドルフォさん、と言う方がおります。その人にお会いになって下さい」
 どこかで聞いた事のある名だと、記憶を辿るアスティア。執事は続ける。
「その人はこのルプガナで、当家に次ぐ実力の商家の長なのですが、実は嵐の夜、彼の全財産を積んだ船が沈没してしまったのです。そこで彼は今、その宝を引き上げるための人員を募っているのですよ。引き上げを手伝ってくれた方には、財産の一部を報酬として差し出すつもりとか」
「なるほど」
 アスティアは思い出す。ウドルフォとは、街のレストランで食事をしていた時に耳にした噂の名だ。
「どうする、アス」
「引き受けましょう」
「ルナフィーリア」
 セシルの問いに答える間もなく即答したのはルナフィーリアだった。二人が驚いて彼女を見ると、ルナフィーリアは胸元でぎゅっと手を握りしめ、
「その方を助けましょう。その結果、私たちに収入が得られるのでしたら一石二鳥でしょう?」
「そうだけど」
「でしたら、私たちが取るべき行動はひとつしかありませんわ」
 決意を見せるルナフィーリアは、二人にそれ以上の言葉を言わせなかった。

「それでは、どうぞよろしくお願い申し上げます」
 泣きそうな顔で土下座せんばかりに頭を下げているこの中年男性が、仕事の依頼主、ウドルフォだった。
 執事の言葉通り港の裏へ行き、彼に会って志願したところ大層喜んで仕事の説明を寄越してくれた。何のことは無い。有志で海中に潜り、沈んでいる財宝を引き上げて集めるという単純かつ地道、そして過酷な力作業だった。
 人手が物を言う作業ではあったが、魔物が頻発している海上。故に破格の報酬であるにもかかわらず、名乗りを挙げた者は殆どいない様子だった。現に、この船の甲板に集められた志願者は、三人を除いても両手で事足りる程だった。
「――随分また、厄介な仕事を引き受けられたものだ」
 この状況を眺め、アスティアが静かに溜め息を吐く。
「あら、困っている民衆を救うのが私たちの役目なのではないかしら」
 珍しく気力の乏しい事を口にした彼に、ルナフィーリアは反射的に非難する。
「まぁまぁ。引き受けたからにはやるしかないんだしさ。頑張ろう!」
 セシルが仲裁するように明るく合いの手を入れると、アスティアは無言のまま腹を決めたようだった。三人とも、今はこれしかないのだと重々理解している。

 穏やかな潮風が吹き抜ける。三人は今、件の船が沈没してしまったと言う海上にいた。ウドルフォの挨拶が終わった所で、有志達が早速海に潜る準備を始めたのを横目にしながら、セシルはさてどうするか……と渋面で腕を組む。彼にはひとつの不安があった。
「どうしたの、セシル」
 その様子を、怪訝そうに尋ねて来たのはルナフィーリアだ。
「あのさ。ちょっと変な事を言うけれど。この仕事さ、泳げないと駄目――って事だよね」
 当然のことを口にするセシルに、アスティアは何を当たり前の事を、そんな顔で頷く。
「そうだな」
「アスは泳げるんだ?」
「人並みにはな。何せ城の目前が海、の環境育ちだ」
「そっか。……頑張ろう、とか言った口で言うのもなんだけど……実は僕、かなづちなんだ」
 そう話し、セシルは表情を曇らせる。水浴びくらいなら平気なのだが、潜って泳ぐとなると話は変わってくる。しかも足の付かない海とあれば尚更無理だ。
 この発言にアスティアは一瞬無言になったものの、真顔のままで頷いた。
「そうか。では、セシルは海上で、万が一魔物が襲撃して来た時に備えていてもらえるか。海中には私一人で行く」
「わかった。負担ばかり掛けてごめん」
「待って、私も供に海中へ。私は泳げます!」
 セシルが頷いた所へ、ルナフィーリアが少し焦れたように口を挟んで来た。セシルはアスティアとともに真剣なその顔を見つめ、ほぼ同時と言っても良い程タイミングよくそれを却下する。
「君を行かせる訳にはいかないよ」
「海中では予想以上の重労働になると推測される。殿下はどうか、海上で御待ち頂きたい」
 口々に言われてルナフィーリアは一瞬顔をしかめた物の、すぐに目を伏せて肩を落とした。
「……そう、ですね。私が行っても足手まといですわね」
 食って掛かられるかと思いきや、すぐに引き下がったルナフィーリア。それどころか落ち込んでしまったようなそぶりを見せる彼女に、セシルは慌ててフォローする。
「ほら、適材適所ってあるでしょ。君は僕と、海上で出来る事を探そ!」
「セシル」
 顔を上げるルナフィーリアへにこりと微笑み返すと、彼女は思い直したのか。頷いて納得したようだった。
「そんな訳でアス、海上は僕たちに任せて!」
「頼んだ」
 アスティアは安堵したように目元を緩めて頷き、すぐに表情を引き締めて服に手をかける。
「きゃ」
 その時突然、何故かルナフィーリアが小さな悲鳴を上げた。その、今までに無かった妙な反応に、セシルはアスティアと顔を見合わせる。
「ど……どうかした?」
 尋ねると、ルナフィーリアは海中に潜る準備を進めているアスティアから顔を背けて、
「きゅ……、急に脱ぎだすとは何事ですの!」
 慌てて非難してきた。その頬は僅かに赤い。
「――おお」
「ふっ。何を、仰るのかと思えば」
 アスティアは平然と残りを脱ぎ捨てて目を眇め、
「今更ではありませんか」
 珍しくからかうような言葉を口にしたりする。
「な、な……ッ!!」
 ルナフィーリアはますます赤面する。言葉は言葉にならず、上ずった声だけが漏れて行く。
 セシルは二人の様子が楽しくて仕方なかった。ケラケラと笑いながらアスティアが脱いだ服を集めてたたみ、一カ所に揃える。アスティアはその間にストレッチをすませ、下着一枚に命綱、ゴーグルを装着した姿で船のへりに立つ。
「では、行ってくる」
「気をつけて!」
「もう、この……ッ、無神経――ッ!」
 ルナフィーリアの絶叫は、アスティアが海に飛び込んだ水音で見事にかき消されてしまうのだった。
「ああ……ッ、本当に無神経だわッ!」
「まぁまぁ、怒らない怒らない。というかルナフィーリア? 四六時中一緒だった訳だし、アスの裸くらい見慣れてるでしょ」
「こんな風に目の前で見た事はありませんッ!」
「あ、そっか。僕が君の裸見たようで見てないのと同じような理由か」
「ま、まあ……ッ、破廉恥にも程がありますわ!」
「でもごめん。ほんとは呪い解いた時もろに見ちゃってたし」
「あれは事故だからもう掘り返さないで頂ける!」
 溜まらず振り下ろされた拳、セシルはそれをひょいと避け、笑う。その後海面へ視線を映し、その瞳を輝かせた。
「おー、泳ぐのはやーい」
「……。まるで魚のよう」
 つられるように覗き込み、ルナフィーリアも同意する。流石、アスだ。セシルは目を細めて嬉しくなる。同時に嫉妬のような物も覚えて苦笑する。
「やっぱり格好いいなぁ、アスは」
「そうかしら」
「あれ、そう思わない」
「……そう、ですわね」
「あ、認めた?」
「……」
 そこでルナフィーリアは、諦めた様にふぅー……と盛大に息を抜いた。そして、力ない声でぼそぼそと話しだす。
「噂でただの力バカだと聞いていたのに実際はどう。頭は切れるし腕は立つし……申し分無いと思うわよ」
「無愛想、言葉には圧力、偉そうって言ってたけど」
「それでも権力を笠に着ていない。気取らない、硬派な立ち振る舞いだわ」
「顔とか?」
「……顔とか。洗練された所作とか」
「その上背は高いし、体格いいし?」
「そうね。初見、見栄えは流石とこの私でも見惚れたもの」
「だよねえ……あーあ。僕もせめて、あれくらい上背あればなあ」
「セシルくらいが丁度よくて安心するのよ」
「ん、そう?」
「ええ。あれは規格外よ。目の毒だわ」
「ああ、確かに毒だね。――ところでルナフィーリア。話し方、なんか変わってない?」
 ぽんぽんと弾む会話の中で気付いた事。思わず指摘した所で、ルナフィーリアは恨みがましい目でセシルを睨んで来た。
「……こちらが素なの。この間散々泣き喚いたら色々吹っ切れてしまったし、何より、貴方と話すと気取るのが本当に面倒になっていくの。もう、今からコレで構わないかしら」
「いいよ。先長そうだし、そう言う所は楽に行こ。じゃあ、ルーナって呼んでいい?」
「え、ええ……構わないけれど」
「じゃ、ルーナ。旅を始めた頃のアスも凄かったんだよ、がっちがちで」
「それは、容易に想像できるわね」
「でしょ」
 セシルの相槌に、ルナフィーリアは苦い顔で頷く。
「私に対しては未だにそうだもの」
「まぁ、彼は不器用だからねー」
 色々と思い出し、セシルは苦笑しながら空を見る。やる事はきっちりかっきりこなすのに、対人関係で少し踏み込むと融通が利かない固さがある。最初は解すのに苦労したなぁ、などと思っていると、ルナフィーリアが怪訝な顔で尋ね返して来た。
「あれ……不器用なの?」
「え、そうじゃない?」
「……ずっと私、嫌われているのかと思っていたのだけど」
「ちょっ」
 セシルはたまらず吹き出した。確かに、彼女に対する態度は自分以上に固くて厳しいなとは思っていたので、無理もないけれど。ただこれだけは言える。アスティアはけして、彼女を嫌ってなどいなかった。
 声を殺して肩を震わせているセシルに、ルナフィーリアは不満そうに目を細める。
「どうして笑うの」
「だってお、同じ事言ってるんだもん二人して!」
「同じ事?」
「アスに相談された事あるの。俺は、彼女に嫌われているのだろうか――って」
「……」
 その言葉を信じられない、そんな顔で聞いている彼女に、セシルは目元に溜まった涙を擦りながら追い討ちをかけた。
「結局君たち、似た者同士だった、って訳か」
「う――嬉しくないわよ」
 ルナフィーリアは小さく呟くと、そっぽを向いて黙った。その頬は、言わずもがな。セシルはその変化にもこっそり笑って、上を見上げる。
 そこには、真っ青な空が広がっていた。すとんと落ちた心地の良い沈黙。船体にぶつかる波の音、木材の軋む音。そして時折、アスティア達の立てる水音や有志達の掛け声が空気を奏でる。そっと頬を撫でて行く清涼な風が、日差しで火照った肌に優しかった。
 セシルは大きく息を吸い込み、目を閉じる。こんなに穏やかな気分になったのはとても久しぶりだった。
「ねえ、セシル」
 不意に、落ち着いたらしいルナフィーリアに声をかけられた。
「何、ルーナ」
「私、貴方がくれた言葉のおかげですごく楽になったわ。とても嬉しかった。……今まで、迷惑ばかりかけ通しでごめんなさい」
 ルナフィーリアはまっすぐにセシルを見つめ、誠心誠意のこもった言葉で告げる。受けたセシルは目尻をキュッと下げ、
「そう? でも迷惑ってルーナ、何かしたっけ?」
「……。優しいのね」
「あーそれ、アスにも言われた」
 能天気にヘラリと笑うセシルにつられるように微笑みながら、
「私、貴方の事大好きだわ」
「ありがとう」
「それに私。……彼の事も、嫌いじゃないわ」
「それならいいんだ」
 衝動にかられ、笑い合う。
「さーて。ルーナ、ちょっとここを頼んで良いかな」
「え?」
「この気候でも、水から上がれば寒いだろうしさ。皆の分の毛布とか、暖かい飲み物とか用意するの手伝ってくるから」
「それなら私がやるわ」
「いいの? スープとか作るんだけど」
「やらせて。万が一なにかあっても、私ではきっと対処できないもの。だから、セシルはここにいて」
「ルーナ」
「ほら。適材適所、よ」
 くすりと笑みを残し、彼女は甲板を歩き去る。セシルは多少呆気にとられたものの、ふつふつとわき上がる喜びに満面の笑顔を浮かべて、その背中を見送った。


 それから数刻後。沈んだ船を探し当てたアスティア達有志は、財宝をあらかた引き上げる事に成功していた。
「ふー……」
 流石に長時間の潜水で疲労したのか、甲板に上がった彼はびしょ濡れのままその場に座り込んだ。ルナフィーリアは硬い表情のまま近寄って行く。その手には、タオルを携えて。
「お疲れさま。……これ、使って」
「……殿下?」
「ルーナでいいわ、アス」
 これには流石のアスティアも驚いたのか、無表情ではあったが勢いよくセシルを見た。
「何があった」
「あははっ。まぁ、色々と」
「何よ。使うの、使わないの」
「ああ、使わせて頂く。御心遣い感謝する」
 微かに笑んでタオルを受け取ると、彼女はまたも真っ赤になった。
「早く服を着て。風邪を引いたら大変でしょう!」
 そう言い捨てた後、恥ずかしさが極限を迎えたのか。ルナフィーリアは、その場から逃げる事を選択したようだった。船室に駆け込む彼女の背中を見つめ、アスティアは呆然としている。一部始終を見ていたセシルは、こみ上げてくる笑いを抑えられない。
「着替えたら。本当に風邪引く前に」
「……」
 アスティアは腑に落ちないものを覚えたようだったが、解らないものは解らないらしい。言われるままに手早く身体を拭き、着替えをすませていく。終わるのを見計らって、セシルは用意していたカップを差し出した。
「はい、あったまるから飲むといいよ」
「有り難う」
 抵抗無く受け取り、早速口をつけてみる。確かに暖かかった。が。
「ん……何か、変わった味がするのだが」
「大事に飲んでね。それさ、ルーナが作ってくれたんだ」
 不可解な事ずくめでアスティアの脳内一色、疑問符で埋め尽くされたのだろう。眉間に薄くしわが寄る。確かに言葉遣い、呼び方、態度。数時間前とは別人の様だ。あれは本当に、あのルナフィーリアなのだろうか――なんて考えてもおかしくはない。
 やがて彼は、奇怪な現象に耐えられなくなったのか。
「……彼女、本当にどうした」
 ぼそりと呟かれた、その、不用意に不安気だった表情を見たセシルは、またもやひとしきり笑い転げたのだった。




◆    ◇    ◆    ◇


 ウドルフォから破格の報酬を貰い、準備万端で出航を明日に控えた夜。
 昼から比べれば大分涼しい潮風を頬に感じながら、ルナフィーリアはテラスにてぼんやりと庭を見つめていた。
 澄んだ月の光が染め上げる、ホワイトリリーの美しい銀色の夜。そう言えば、幼い頃にもこんな景色に感動した事があった。愛しい思い出に、唇が綻ぶ。
 あの夜を境に、こんなにも。こんなにも、気持ちが穏やかになるとは思わなかった。極限まで追いつめられていた焦燥が嘘の様。
 それもこれも、全身でまっすぐに受け止めてくれた二人の王子がいたからで相違ない。セシルがいなかったら。アスティアがいなかったら。彼らが全身で支えてくれなかったら、こんな風に月を、花を、景色で素直に感動する気持ちなど産まれなかっただろうと思う。
 手の平の中でチリン、と澄んだ音が鳴る。これは、先日買い出しに行った時。忘れ物をしたと言ってこっそり買いに行ったものだった。
 ルナフィーリアはそれを見つめ、深い息をつく。
(買ったはいいけれど、どうやって渡したら良いの)
 それは、彼女の小さな悩みでもあった。根付けの部分を指に取り、目線に掲げて見つめる。それは、金色の小さな鈴。
 考え、決める。躊躇はあったものの、明日からまた移動で忙しくなるのだ。その前に、彼と話をしておきたいと思った。鈴を持ち、椅子を立って部屋を出る。
 寝静まるにはまだ少し早い時間だった。部屋を尋ねてみたが不在だったので、すれ違った使用人を捕まえて居場所を尋ねた所、彼は今ルキーノの書斎にいるのだと教えて貰えた。早速向かってみると。
「では」
「うむ。明朝な」
 中から二人の声が聞こえ、丁度、彼が部屋から出て来た所だった。丁寧にドアを閉めた後、彼――アスティアはこちらに気付いて一度、瞬きした。
「殿下」
「今、お時間頂けるかしら」
 正直、心臓は驚く程早く打っていた。あれ以降、セシルを挟まず二人で話すのは初めてだったからだ。対するアスティアはいつもの涼しい顔だ。これの何処が不器用なのだろう、と疑問を抱きつつも返答を待っていると、彼は、
「構わないが、如何された」
「貴方に少し、お話が」
「――。先日のような事は御勘弁願いたいが」
「実は意地悪なんですの?」
 思わず呻いたら、アスティアはふっ、と笑みを洩らしたようだった。
「失礼、相当翻弄された故。場所を変えましょう」
(やはり振る舞いに不器用は見えないわ、セシル)
 胸中で毒づきながら、ルナフィーリアは歩き出した彼の半歩後ろを追った。そうして彼が立ち止まったのは、自分たちの客間が用意されている階にある、庭が望める踊り場だった。
「それで話、と申されますと」
「ええ。その前にまず、貴方に渡したいものが」
 早速促されたのでルナフィーリアは頷いて、手にしていた鈴を彼に差し出した。
「これは魔除けの鈴といって、魔法によって受けるダメージを軽減する効果のあるマジックアイテムです」
 アスティアは不思議そうな顔で、手の平の鈴を注視している。
「これを、私に」
「ええ。……謝罪の代わりにもならないけれど、受け取って頂けるかしら」
 手の平の鈴がチリチリと小さな音を立てる。……手が震えて仕方ないからだ。それでもしっかりとアスティアを見つめて待つと、彼は少し動じたようだった。鈴から顔を上げ、ルナフィーリアの顔を見る。
「御気になさらずとも良いと、申し上げたではありませんか」
「それでは、私の気が済まなくて」
 まっすぐ見ていたフリーズブルーの瞳がこちらを見つめ返してくる。これ以上注視する事が出来ずそっと目をそらした所で、彼が小さなため息を吐いたのが解った。
「御心遣い感謝する。殿下」
 そう一言つけた後、彼はルナフィーリアの手に載せられていた鈴を受け取った。手のひらに触れた指先が思いのほか温かくて顔を上げる。アスティアは手にした鈴を僅かの間見つめた後、丁重に腰につけているポーチの中にしまいこんだ。その表情は幾分か穏やかに感じられたので、ルナフィーリアは安堵する。
「受け取っていただけて安心しました」
 自分でも思わない程、相当緊張していたらしい。ため息が抜ける程だったその言葉に、アスティアは少しだけ笑ったようだった。彼もまた、あの夜を境に少しずつだけれど、色々な表情を向けてくれるようになったと思う。それが今はとても嬉しかった。
 そんな時。
「こんなにたくさん、本当にありがとう、フェデリカ」
「いいえ、どういたしまして。おやすみなさい、セシルさん」
「おやすみ、良い夢を」
 ふと聞き慣れた声がして振り返ると、階段を上ってくる足音とともに現れたのはセシルだった。その腕には明らかに菓子の包みが抱かれている。
「あれ、二人ともこんな所でどうした?」
 彼はこちらに気付いたのか、不思議そうに尋ねてきた。
「それはこちらの台詞よ。セシルこそ、それは何?」
「ああ、フェデリカが餞別にお菓子とお茶の葉を分けてくれたんだ。船旅の間、口淋しくないようにって」
 嬉しそうに笑うセシルは、ほらみて、とばかりにルナフィーリアへ包みを覗けるように傾けてくれる。つられるように見ておもわず頬が緩んだ。先日彼女とお茶を楽しんだ時に口にした、ベラヌールの砂糖菓子も入っている。あれは正直、美味しかった。
 ルナフィーリアの表情に気を良くしたらしい彼は、今度はこちらに疑問を投げかけて来た。
「で、二人は何を?」
 何を、と言われても。何気なくアスティアに視線を向けると、彼は軽く眉を動かしただけで何も言わない。仕方がないので、
「彼にちょっとした謝罪を、ね」
 肩をすくめて正直に話すと、セシルは微笑んだままそっか、とだけ頷いてそれ以上は聞いてこなかった。代わりに話題を変えて、
「さーて、時間が掛かったけれどいよいよ明日だね。ラダトーム。皆は行った事、ある?」
「無い」
「私も無いわ」
「そっか、じゃあ皆初めてなんだね。――勇者ロトが降り立ち、勇者ブレードが産まれた土地。……どんな所だろう」
 セシルは好奇心に満ちた瞳を輝かせる。アスティアは何も言わないが、表情をぎゅっと引き締めたのがわかった。ルナフィーリアは二人の反応を見た後、この数日考えていた今後への、答えを話す決意に頷く。
「――セシル、アス。二人にお願いがあるの」
「ん?」
 改まって言葉を紡ぐと、声の調子からか二人はまっすぐにこちらを向いた。その表情をしっかり見つめた後、ルナフィーリアは。
「私、やっぱり旅を続けたい。その間に、私がするべき事を見つけたい。勿論、足手まといになる様な行動はもう二度と、慎むわ。だからこれからも、一緒に旅をさせて欲しいの。
 ――もう一度、貴方がたの仲間にして下さい」
 そう願い、心をこめて頭を下げた。その前で、アスティアとセシルは顔を見合わせたようだった。その後間をおかず、セシルは。
「喜んで! 改めてよろしく、ルーナ」
 まるで陽だまりのような暖かい笑顔にて、その手を差し出してきた。
「ありがとう。よろしく、セシル」
 快く同意してくれたセシルが嬉しく、硬い握手を交わした後。ルナフィーリアはアスティアを見上げる。相変わらず、いつも通りの涼しい顔で頷いてくるアスティアは。
「どうか、御無理だけはなさらぬよう」
 やはりいつもの様子で勝手だが少しだけ、胸が淋しさに空いた。
「――ええ、ありがとう」
 控えめに笑んで終わらせようとした時不意に、アスティアは無言のまま彼女の前に進み出て来た。何か、と、もう一度顔を上げると、正面でこちらを捉えた彼は、
「宜しく頼む、――ルーナ」
 目を眇めて薄く笑み、ルナフィーリアに手を差し出してきた。
「――!」
 その表情を見たからか、初めて呼ばれた愛称の為か。彼女は途端に頬が熱くなるのが解った。意図もせず漏れた喜びだった。みるみるうちにぱあ、と大輪のばらが綻ぶような笑顔を咲かせて、
「ええ! 共に戦いましょう!」
 内面から滲み出るような歓喜を返した。ルナフィーリアがその手を握ると、その上にセシルも手を置いて笑う。
「三人で乗り越えよう」
 頷きあうように、決意を固める。
 庭では月の光に照らされ、銀色に輝くホワイトリリーがさやさやと微笑むように揺れている。




◆    ◇    ◆    ◇


 そして、出航の朝を迎える。
「ルナフィーリアさん、皆様、どうか、お気をつけて」
「貴女もよくしてくれてありがとう、フェデリカ」
「また遊びに来てくださいね」
「ええ」
 少しだけ寂しそうに笑うフェデリカに、ルナフィーリアはやわらかく微笑んで頷いた。
「アンタ方には感謝しておるよ。孫娘の命を救ってくれた事は一生、忘れはせん。――船長、彼らの事はくれぐれもよろしく頼む。過酷ではあろうが彼らを、彼らの思う所へ運んでやってくれ」
「任せて下せぇ!」
「でも、本当にいいのですか?」
「勿論」
 セシルが遠慮がちに問う言葉に、ルキーノははっきりした返答で笑む。
 それもこれも昨日。ルキーノはラダトームへ向かうどころか、船自体を自由に使って欲しいと申し出てくれたのだ。この時勢に旅をしている理由を尋ねられて話した所、彼は大層感銘を受けたようだった。
「数々の御配慮頂き痛み入る」
 深く礼を述べるアスティアに次いで、セシルとルナフィーリアも続く。
「ありがとう、ルキーノさん!」
「大変お世話になりました」
「君らの無事を祈ろう。大儀に貢献した結果、海が平穏に戻るのであればいくらでも力を貸そう!」
 力強い言葉に、改めて感謝する。
「さ、旦那方。そろそろ出航ですぜ」
 船長に促され、三人はそれぞれの思いを抱えて乗船する。
「――出航!」
 勇ましい合図と共に響き渡る汽笛。ゆっくりと港を離れていく船。その先にはどこまでも続いていく青い海。

 この青の向こうには、果てしなき世界が広がっている。
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2006.12.07開設

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