錯綜

  錯 綜
  side:ロウ
 ふと、違和感を覚えて立ち止まる。目配せする必要はなく、彼女も足を止めた。激減したとはいえ、幾度となく繰り返してきた感覚。身体が記憶している。
 鋭く状況判断する青い眼。剣を抜き、構える姿。俺も剣を抜いて体制を整えた。
 訪れた一瞬の静寂。それを奇声で引き裂き現れたのは、数匹のキメラだった。
「向こう任せた」
 それだけ残し彼女は疾走する。一瞥した後、俺は前方に集中した。
 鋭い嘴を突き出し、飛び回りながら攻撃をしかけてくるキメラ。以前に比べれば動きも早くない、力も弱くなっているそいつらに呪文を使うまでもなかった。
 苦もなく終え、向こうを伺う。彼女は既に終わっていたらしく、ぼんやり佇んでいた。その表情は髪に隠れて見えない。
 ――何考えてんだか。
「セティオ」
 声を掛ければぱっと顔を上げ、こちらに駆けてくる。
「びっくりした。まだ魔物が出る場所もあるんだね」
「ああ」
「武器を持たないで歩けるようになるまでは、どれくらいかかるんだろう」
「さぁな、そればっかりは」
 溜息混じりのそれに答えた後、改めて周囲を見た。倒したばかりのキメラたちが転がっている。俺はメラを唱え、その遺骸を焼却処分する。
 妙な虚しさを覚え、小さく息をついた。
「――行くか。また出て来られても面倒だ」
「そうだね。メルキドまでは後どれくらいだっけ」
「この荒れ地を抜けたらすぐだ」
 地図を確認しあって、再び歩き始める。
 リムルダール側から人目を避けて山間の荒れ地を進み、数日。俺とセティオは今、城塞都市メルキドに向かっていた。

 パーティを解散した後、約束通り二人で旅をはじめた。
 深い目的無くアレフガルドを回って、もう半年は過ぎただろうか。行ける場所はあちこちまわったが、その間メルキド方面へは一度も足を運んでいなかった。
 そこは互いにとっていい思い出の無い場所。故にそれとなく避けていたはずだったのだが――行きたいと切り出したのは、セティオだった。旅の途中、メルキドの復興が目覚ましいという噂を耳にした。街がどうなったのか知っておきたい。アイリスにも逢いたい――と。
 同意はしたくなかった。こちらにとってはもう、近付く事すら拒絶したい街。
 だが、一度言い出したら引かない彼女の性格を知らない訳ではない。それは俺も同じで、多少の口論を交えた末――結局、押し切られる形で承諾する羽目になった。




◆    ◇    ◆    ◇


「まさか……ロウと、セティオ?」
「久しぶりだね、アイリス」
 再会の挨拶をし、セティオは深く被っていた帽子を脱いで軽く笑む。アイリスは突然の来訪に驚いたようだった。
「お久しぶりです。会いに来てくれるとは思いませんでした」
「なかなか来られなくてごめん。その、元気だった?」
「ええ、元気です。セティオは――雰囲気、変わりましたね」
「……はは。ちょっと事情があってさ」
 言われてセティオは肩を竦める。伸びたその髪が、頬のあたりでさらりと揺れた。アイリスはその仕草ではっとしたのか。
「そちらは大変ですものね。世間では行方不明だと大騒ぎになっているみたいで」
「……みたいだね。こんな大事になるとは思わなかった」
 道中を思い出したのか、多少表情を曇らせたセティオ。
 アイリスは慰めるように、
「仕方が無いです。貴女方は、アレフガルドに住む者にそれだけの事をしてくれたんですから」
「……そうなのかな」
「そうですよ」
「けどやっぱり、こんなふうに持ち上げられるのは嫌だな」
「気持ちは、多少察します」
 ぼそりと呟かれた一言に、アイリスはとうとう苦笑して頷いた。
 ――あれから世間は、姿を消した【勇者ロト】の話題で持ちきりだった。ある事無い事噂が飛び交う中、最近では捜索隊まで出る騒ぎに発展していた。その中にはこちらの顔を知っている者もいたせいか、偶然遭遇してなぜか追い掛けられた事もある。
 そのせいでセティオは身バレを怖がり、風貌を変える作戦に出た。変わったのは髪型だけじゃない、服装も完全に女物だ。
「今は、何をしているんですか? シエンさんとマーガレットさんは」
「話せば長くなるけど、今はロウと二人で、逃げがてらアレフガルドを見てまわる旅を。シエンとマーグはそれぞれの道に進んだから」
「そうなんですか」
 アイリスはその返事後、こちらを見た。す、と逸らし、無言のままでやり過ごす。その対応に向こうがどんな表情をしたかは知らないが、小さく嘆息した気配は感じ取れた。
 その後訪れた、微妙な沈黙。
「――あの。それにしてもさ」
 それを変えようと声を出したのは、セティオだった。
「話には聞いていたんだけど驚いた。メルキドが、ここまで復興してる事」
「ええ。みんなで頑張っているわ」
 気を取り直したのか、アイリスはその言葉に頷いて、
「メルキドが頑張れるようになったのは、こうして光が空に現れたからです。本当に、なにもかもセティオたちのお陰なんですよ」
 そう話し、今度は空を見上げる。
「日の光、話には聞いていたけれど。こんなに明るいものだとは思わなかったわ」
 輝く太陽の日射しに目を細め、気持ちよさそうに深呼吸する。その様子に安心したのか、セティオはつられるように少し笑って尋ねた。
「アイリスは今、どうしてるの?」
「今は、街の護りをもっと強力にする為の策を考えています。二度と、あんな事が起こらないように」
 答える彼女の声は、とても強いものだった。その張りのある声に気を惹かれ、ようやく彼女をまっすぐに見た。
 初めて光の下に見た彼女は、透き通るように真っ白だった。微かに流れる風、アクアマリンの髪がさらさらと揺れる。翡翠の瞳からは、以前のモノとは違う前向きな強い意志があふれていた。
 纏う空気からはぴりぴりとした棘が消え、凛とした、それでいて穏やかなものを感じる。
 その変化に気付いて、目を細めた。彼女はもう、以前の彼女ではない。解ってはいるが、自分の中ではまだわだかまっているらしかった。
 つくづく、融通が聞かない頑固な頭だと自分でも思う。
 続く二人の会話の合間でそんな事を考えている先だった。
「アイリス、まだ終わらないのー?」
 建物の奥からアイリスを呼ぶ声がする。
「ごめんなさい、今行きますー!」
 アイリスが返事をすると、声をかけた女は苦笑まじりに早くしなよ、そう加えて引っ込む。俺たちの来訪は、彼女の仕事中だった。セティオはバツが悪そうに苦笑して、
「邪魔してごめん」
「いいえ。それより、メルキドにはどれくらい滞在する予定ですか」
「もう二、三日……いいよね、ロウ」
「構わない」
「では、また後で逢いましょう」
「うん」
 アイリスは会釈して建物の中へ歩いて行った。その後ろ姿を見送った後、セティオは何故か、その場から動かなかった。
「どうした」
 突っ立ったまま、セティオはボソリと呟く。
「あたし……無神経だった?」
「あ?」
「……ごめん」
「今更」
 謝る彼女に、俺はつい素っ気のない一言を吐く。
「いくぞ」
 返事を待たずに歩き出す。セティオはすぐに、後を追って来た。




◆    ◇    ◆    ◇


 あらためて歩くメルキドの街。その、様変わりしている様子には驚いた。
 崩されてボロボロだった外壁は修繕工事が進み、荒廃していた街並も整然としつつある。以前は出歩く人の数さえまばらだったのに、今ではそこかしこで活気づいていた。
 そんな街中で夕食を済ませ、夜に傾いた路地を歩いている時だった。
 ふいに、どこからか音楽が流れている事に気付く。どこか哀愁を帯びた竪琴――見れば、向こうの角に人だまり。その中で、吟遊詩人が竪琴を奏でていた。
 ふ……ん。ああいうのも増えたな。
 何気なく一瞥して通り過ぎようとした、その時だった。
「……あ!」
 声を上げたのはセティオだった。なんだ、急にでけぇ声出すなよ。見れば、彼女の視線はその吟遊詩人だった。
 案の定、セティオの声で中断する演奏、迷惑そうに上げられた視線は、しかしセティオを見て驚きに丸くなる。
「あ――え? 君、もしかしてあの時の……!」
 知り合いか。まさか……こんな所で?  疑問に思うが、どうやらその様だった。互いに驚いた顔で見つめ合っていたが、ややあってその表情を緩め合う。
「やっぱり。あの時の吟遊詩人さん」
「君はあの時、最後まで曲を聞いてくれたコだ」
「覚えてたんですね」
「忘れないさ。君のお陰で自信を取り戻せたんだから。また会えるとは思ってなかった」
「あたしもです。いつかまた、貴方の演奏を聴きたいと思ってた」
「そっか、嬉しいよ」
 ――なんだ、こいつら。
 妙に親しげに話し始めた二人に、俺は意図せず上がってくる妙な感情を抑えながら半眼になる。
「ねーガライ、続きはまだなの?」
「早く弾いて」
 二人に焦れたのは俺だけじゃなかった。回りで聞いていた奴らも声を上げ始める。
「分かったから。あー、僕は大抵、この時間にこの辺で弾いてるから。よかったらいつでも聴きに来て」
 困ったように笑う吟遊詩人に、セティオは満面の笑みで頷いた。……うわ。俺にもめったに見せないような顔で笑いやがったこいつ。
 そして再び路地に響き出した竪琴の音色。セティオは名残惜しそうにソレを聞いたのち、ようやく俺を見た。
「ごめん、行こうか」
 平静を装って頷き、宿に向かって歩き出す。
 その間俺は一言も喋らなかった。そんな俺に、セティオは不思議そうな顔でついてくるだけ。……やっべ。なんか無性にむかむかしてきた。みっともねぇそれは押し殺しときたかったんだが、無理だった。
 なんだあいつは。どことなくシエンに似てやがったのも気に入らねえ。
 結局、部屋に入った第一声で聞いていた。
「何時」
「え?」
「何時の間に会ってた」
 訊問口調になった俺に、セティオはバツの悪そうな顔で視線を彷徨わせ、
「その……言い合った後」
「ふーん」
 答えにそれだけ返して黙った。よりによってあの後かよ。
「ロウ?」
 もう話す気も起きなくて、何か言いたげだった瞳から目を背けた。
 苛々する。相変わらずちっせー器だと自覚しつつ。持ったままだった荷物をぶん投げるみてぇに置き、窓際のベッドに座って息を抜く。
 久々に超不機嫌になった俺を、セティオは入口に立ったままぽかんと見てた。見てんじゃねーよ。つい睨んだ。
 数秒そのまま見合って、先に動いたのは向こうだった。なんか、目が笑ってんのは気のせいか。無言のまま俺に近づいてきて、
「――ッ」
 不意をつかれた。目を閉じる余裕も無かった。そのまま近付いた顔。さらっと唇を掠った柔らかな感触。僅かな接触の後、すぐ側に迫った青に射抜かれる。
「――何」
「ん……なんか、嬉しくてさ、――……」
「何が」
「なんか」
 それ以来黙ってしまう。
 何してくれんだこいつは。
 見れば耳が赤い。ついでに少し震えていた。
「慣れねえ事すんなよ」
「だって」
 セティオは消えそうな小声で呟き、俯いた。
 愛しさに突き上げられてうっかり苦笑する。嫉妬すら溶け出して行くように消えて行った。彼女からは初めての事だった。
 照れの極致なのか顔を上げないセティオ。その顔見たさに追い討ちをかけてみる。
「じゃ、もう一回」
「えー……?」
 乞うともう染める場所も無い位紅くなって顔を上げ、やがて、諦めたのか。もう一度顔を近づけてくる。鼻が触れた所で目を閉じてやると、ややあって唇にもう一度、柔らかい熱が降りてくる。そして案の定、すぐに離れて行こうとするから、
「――!」
 とっさに、離れかけた頭を押さえた。セティオは驚いたように目を見開く。
 俺はもう片手で腰を抱き距離を寄せて、今度はこちらから触れた。軽く合わせた唇に舌を忍び込ませ、歯に触れ、もっと柔らかい場所へ……。
 息が漏れた。やがて、触れていた舌が少し動く。戸惑ったように、追い掛けるように少しずつ。上がる体温、どんどん火照っていく彼女。
 気が付けばもう、お互い夢中だった。
 彼女の腕はいつの間にか俺の背中で、覚えたてのそれはぎこちない。けれど必死な様子がたまらない。
「んっ……!」
 独占欲が思い余り、そのまま体重をかけてベッドに横たえた。
 唇を性急に求め、彼女の身体に手を這わせる。頬から首、鎖骨を越え、胸に。服越しで感じられる体温と、ふわりとした感触で指先が沈み、――理性は消えようと飛び上がる。
 直接触れたい。捲れた裾から露になっていた脇腹から触れると、セティオの身体がびくりと硬直した。それでも構わず衣服の中に手を滑らせる。直に胸へ触れた所で、彼女の手が衣服越しに俺の手を押さえた。先を、制するように。
「……っ」
 その反応で少し我に帰る。
 視界の向こうには、熱に潤んで戸惑っている瞳があった。
「……嫌か」
「えっ、……あ」
 尋ねると、彼女は焦ったように視線を泳がせた。……。
「悪かった」
 俺は彼女から身体を離して、起き上がりながら謝罪する。
「……ううん! そんな」
 空元気な声で飛び起きた後、彼女は不自然に黙る。その顔に苦笑して、……流石にこのまま笑っていられる自信が無くなった。動けないでいる頭を撫でた後、背を向ける。
「少し頭冷やして来る。先に寝ていていい」
「でも」
「安心しろよ。もう何もしない」
 それだけ告げて、返事を聞かずに部屋を出た。


 一人になり、思わず長い息を吐き出した。
 彼女の温もりを覚えたままの唇と、指先。柔らかい感触、すべて。あのまま抱いてしまいたかった。たまらない。抱きたい。衝動が収まらない。いつまで我慢すればいい。これは一体何の地獄だ。生き地獄にも程がある。
 欲に支配される頭にうんざりして、行き場の無い感情を持て余す。

 二人旅を始めて、あいつは変わった。
 普段は楽しそうにしている。元気だ。一見、以前とは変わらない。
 ただ、最近は――なんつうか、妙な憂いを帯びた。物思いにふけるような時間も増えたように思う。
 長く伸びた前髪から覗く青の瞳は輝きを失い、深海に沈んだように静かだ。細い線が結ぶ鼻、口数の減った唇。首筋と、肩と、背中と――女物の服を着るようになったせいか、前は見せなかった華奢な輪郭を知ってしまった。
 一緒にいられればいいと思うだけの時間は過ぎた。欲は残酷だ。
 あいつの女っぽさが見えるたび、俺はそれ以上が欲しくてたまらない。
 あいつは俺とこの先、どうなりたい。――解らない。
 この関係はもう、仲間、友達と言うのも違う。名前を付けるなら、何がふさわしい。
 あの深くて青い、どこまでも青い小さな深淵の中に答えを探す。揺れる波間に見え隠れする何か。手を伸ばせば、すぐにでも届く場所にあるのに。




◆    ◇    ◆    ◇


 流石に戻りにくい。仕方ないんであのまま外に出た。
 すっかり日も暮れ、暗い。なんとなくあの日を思い出すが、空には膨らみかけの青白い月がある。相変わらず入り組んでいる路地を当てもなく歩いていると、昼間アイリスに会った建物の前に通りがかる。明かりのついている窓を何気なく見上げれば、……ついてねえのか今日は。
 うっかり目が合った。そういや、前にもこんな事があった。立ち位置は逆だが。
 彼女はそのまま窓を開け、声をかけてくる。
「どうしたの」
「散歩。通りがかっただけだ」
「セティオは一緒じゃないの」
「宿」
 アイリスは丁度いい、とでも言いたげに肩を竦めて、
「せっかくだわ。貴方と少し、話がしたい」
「仕事中なんじゃねえの」
「もう終わるわ。すぐに行く」
 了承するつもりはなかった。けど、声にする前に彼女は建物の向こうに引っ込んだ。
 ――さて、どうするか。帰る訳にはいかねえか。面倒くせーけど。溜息を鼻から抜いて、アイリスが下りてくるのを待つ。
 ややあって、軽く息を切らせたアイリスが入口から姿を現した。
「私に逢いに来てくれたのかと思ったわ」
 あー、久々に見た。本気なのか解んねえこいつの笑顔。
「冗談。それで、話っつうのは」
「どうしても知りたくて」
 無言の相槌をやると、アイリスは軽く目を伏せて、
「あの時――メガンテを使おうとした私を、迷惑なだけだと言った。貴方が――どうしてあそこまで怒ったのか、理由を聞かせてはもらえない」
 尋ねられ、少し躊躇する。
「聞いてどうすんだよ」
「知りたいの」
「簡単だよ。俺の母親が、あの呪文で散った」
 結局さっくり答える方を選べば、アイリスは絶句した。その顔を正面から見据えて続ける。
「二度とあんな思いをしたくなかった。それが理由だ」
 務めて淡々と告げると、アイリスは小さく頷いて俺を真っ直ぐに見た。
「ありがとう。――私、あの時死ななくてよかった。あなたの言う通りだったわ。今は、生きていられてよかったと心底思ってる。もう二度と、自分の命を自分で断つなんて事は考えない。
 私、生きるわ。これからは、この街をもっともっといい街にする手伝いをしていく」
 まるで誓うように告げるアイリス。正面からそれを受け、しばしの沈黙後。
 思わず、苦笑してしまう。
「俺に誓われても」
「そうね。でも、聞いて欲しかった」
 つられるようにアイリスも、似たような表情を浮かべた。そして、安堵に微笑む姿。多少見つめあい、改めて思う。
 アイリスは、自分と似ていると思った。考え方も、行動も。話をしていて楽ではあった。先を読むように続けられる会話が、正直に楽だった。
 こいつ、やっぱり嫌いじゃない。――だからこそ。
「そろそろ戻る」
 絡む視線を解くように告げた。
「そうね、ごめんなさい。その前に一つ、聞いてもいいかしら」
「何」
「今、幸せ?」
「……。お前は」
 答えず尋ね返したが、返事は帰って来なかった。ただ、薄く微笑むだけ。
「私も帰るわ」
「ああ」
 こちらも僅かに表情を崩してみせると、彼女は手を振って背を向けた。そして、振り向かずまっすぐに足を進める。アクアマリンの髪が揺れる背を少し見送り、俺も背を向ける。

 ぼんやり歩きながら、思う。
 正直、アイリスとの膠着が解けて気が抜けた。それと同時に、両親の顔が脳裏を掠める。
 親の事は、アリアハンの爺以外に話した事はなかった。
 足を止めた。手が、かすかに震えている事に気が付く。その手を握りしめ、目を閉じる。

【――い……、貴方だけでも逃げなさい――ッ!!】

 途端に脳裏に響いた声。極端に冷たい風が鼻先を掠めた気がして、はっと顔を上げる向こうは、ただの夜。
「……っ」
 舌打ちして、額を押さえた。目眩がする。
 久しく思い出す事もなかったのに、たった一言の切っ掛けでこんなにも簡単に全面に出てくるものなのか。

 ずっと小さかった頃。家族でエジンベアからアリアハンに渡航して、上陸したあの日。吹雪で、前も後ろも右も左も、天も、地も。見渡す全てが白に包まれた。
 そんな道を移動する中、現れた魔物。馬車の中で震えているしか出来なかったガキの自分。一家を護る為に戦い絶命した父親と、俺を護る為に自爆した母親。
 何もかもが静まった後に見た鮮明な赤と、白の世界。
 俺以外誰も生きていなかったあの瞬間。

 一時的に忘れる事が出来ていたとしても、恐らく一生消える事のない声、記憶。
 人間の頭ってのは、そう、都合よく忘れさせてなんかくれねえよな。
 諦めに息を抜く。払うように頭を軽く振り、前を向いた。
 ――なんか、早くセティオの顔が見たい。




◆    ◇    ◆    ◇


 流石に緊張して部屋に戻ったものの、ドアを開けた先にいるはずのセティオがいない。……当然か、部屋で待つのも気まずいよな。衝動を少し恨む。
 どうするか、探しに出るのもおかしいか。思ったがドアを閉め直し、もう一度夜のメルキドに出る。自分が蒔いた種だ。
 そこから少し探して、――セティオは、割とすぐ近くにいた。
 いたのはいいが、その場所が、……。
 俺は街門の向こうで一人佇んでいるその姿に、意図せず不快になる。
「セティオ」
 声をかけると、セティオは弾かれたみてぇに顔を上げてこちらを見た。
「あ……ロウ」
「この暗がりで何してんだよ」
「探し物。――無かったけど」
 落胆を無理矢理笑みに変えて、セティオは土埃にまみれた手を払った。何を探していたかは、その場所で察しがつく。
「ばかじゃねえの」
 思わず吐き出すと、セティオは両側にたらした拳を握る。一度目を閉じて間を置き、ジッとこちらを見据えてきた。
「大事だったんだ、あたしには」
 震えた声にたまらなくなる。
「――ンッとに、お前は」
 俺は悪態をつきながら、こちらを睨むセティオに詰め寄った。彼女はひるむ様子もなく、唐突にこんな事を切り出す。
「さっき。偶然、メルキドの街長さんに遭った」
「あ?」
「人として許されない事をした、謝っても罪は消えないが、仕打ちを許してほしい、って。――ねえ、ロウ」
「なんだよ」
「あたし、なんで生きてるの」
 思いがけなかったそれは、足を止めるのに十分だった。
 こいつ、急に何言ってやがる。
 セティオは絶句した俺の顔をまっすぐ見たまま訊いてきた。
「ずっと聞きたくて、でも聞けないでいた。アークマージの死に様は? 何よりあの状況で、なんであたしは死ななかったのか」
「……――」
 ――言葉は、言葉にならなかった。
 一番思い出したくもない記憶がフラッシュバックする。
 ここで、深紅の水溜りの中で息を細めていく、――――
 閉じる寸前まで、こちらの目を見ていた。
 声の消えた唇が何かを呟き、そのまま意識を失う。
 横たわったままの身体を引き上げ、手首に触れ、首に触れて、感じるはずの感触が無く、息が途絶えた。力無く閉じられた瞼、どんなに呼んでももう開かない。
 溢れ出す大量の赤い物がどんどん地面を染めて
「……ッ」
 振り切り頭を押さえた。もういらねぇよ。吐き気する。
 記憶が交錯し、無性に苦しくて――もう、何がなんだか分からなくなった。頭がまわらない。身体が小刻みに震え、うまく呼吸できない。答えようにも声が出ない。
「あ……れ、ロウ、大丈夫か」
 俺の様子に表情を変え、小走りで寄ってくるセティオ。それを制してようやく話せた言葉は、
「だから、メルキドは嫌だった」
 呻くように吐き出した。セティオはひどく傷ついたような顔をする。こみ上げる罪悪感。
「悪い――。それ話すには、もう少し……覚悟の時間が欲しい」
 セティオから目を逸らして、静かに告げた。
 少しだけ、間があった。彼女は俺の態度に何か悟ったのか、そっと視線を外して頷いた。
「分かった。……いつか、話して」
 いつか。いつだ。
 隠し通す自信がある訳じゃない。隠すつもりもなかった。
 でも、話す事は多分――出来ないかもしれない。
 ジェードの命と引き換えで生き返らせたと知ったら、彼女はどんな反応をするだろう。
 心が離れてしまったら。そう思うだけで怖い。
 相変わらず、臆病なのだと知る。

 アイリスの質問が頭を掠める。
 幸せってなんだ。わかんねえよ。
 俺はどうでもいい。セティオの事は幸せにしてやりたいとは思う。思うが、俺のやることは相変わらず中途半端だ。質問にすら満足に答えてやれない。
 こんな俺があいつを幸せに出来る方法ってなんだ。

 光が戻って、アレフガルドには朝が来たってのに。
 錯綜する記憶と感情の狭間で、まだ、闇の中を彷徨ってる。
 ――俺も、セティオも。

関連記事

コメントの投稿

Private :

カレンダー
11 | 2018/12 | 01
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
カテゴリ
掲示板
感想、連絡等、お気軽にどうぞ♪
個別記事拍手で頂いたコメントの
お返事もこちらにて!
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
カウンタ




2006.12.07開設

ここ創ってる人

Author:愛琳

このページのトップへ