LEVEL:15 何でもない 2

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   LEVEL:15 何でもない 2



「さて、それでは一曲」
 下船後。セシルは得意げに胸を張り、さっと山彦の笛を唇にあてがう。そして奏でられるそれは、聞き慣れたメロディ――しかし、反応はなかった。
「此処に紋章は無し、か」
「その様ね。あと一つなのだけれど、難しいモノね」
「そうだな」
 さらりと相槌を打ち、アスは村の方へと歩き出す。
 集めた紋章は、先日ルーナが持ってきた水の紋章を合わせて、現在四つ。あと一つの情報は皆無に等しく、こうして行く先々で山彦の笛を頼りに探すしかない。
 延々と川を上り、ようやく辿り着いたテパ。湿度の強い地帯を抜けたその内陸部は、一転程よい気候に落ち着いた。その長閑な山間に、その村はひっそりと存在している。ぽつぽつと点在する家屋、村の奥には巨大な水門を要した湖。そして村の対岸に見える小島には、村を見下すような高い塔がそびえていた。
「この村には、ハーゴンの息がかかってないのかな」
 村内に入り、セシルが言う。
「そうね。邪神教徒の姿も見られないし……なにより、空気が穏やかだわ。流石にこんな山奥では、意味がないと踏んだのではない」
 同意を寄せ、ルーナも周囲を見回しながら口にする。
「それじゃ早速、海底洞窟に関して情報をッ」
 そこで突如、セシルの言葉がぶつりと切れた。背中に衝撃。何者かが、セシルに体当たりしながら走り抜けたのだった。
「な……っ?」
 その速さに三人は一瞬度肝を抜かれ、何者なのか目が追いついた時にはもう、その人物は数メートル先を逃げていた。
「待て!」
「あははーごめんねー!」
 我に返ったアスは声を上げたが、その男はへらりと謝ったのち、疾風のように村外へと消えていく。
「な……何よ、今の」
 むっとした顔でルーナが呟くその時、更に。
「待てー!」
「待て、ラゴスッ!」
 村の奥から、ドカドカと数人の男たちまで走り出てきたのである。その只ならぬ気配に緊張が走る。
「……くそっ、外まで逃げたかッ」
「ラゴスのやつめ。私の足がもう少しはやければ、おめおめ逃がしはしなかったものを!」
 すでに姿の見えなくなった件の男を追っているのか、彼らは苛立ちを見せながら足を止めた。
「あの……さっきの人は」
「あの野郎、村の大事なモノを盗んでいきやがったんだ!」
「アンタらは大丈夫か。何か盗まれなかったか?」
 その一言にセシルは一瞬青ざめ、パタパタと荷物を確かめる。ややあってから、安堵した様に笑んだ。
「とりあえず大丈夫みたい」
「そうか、よかった。……アンタたちは旅人かい? いきなりおかしな所を見せちまったみたいで、悪かったな。まあなんだ。何もない村だが、ゆっくりして行ってくれよ」
「あ。よければ話を聞かせてもらえませんか? 僕たち、テパ族の海底洞窟、と言う場所について知りたくて、此処に来たんですけれど」
 その単語に、男の眉がピクリと揺れた。
「懐かしい名前だな。あんな場所について調べてどうするつもりだ」
「邪神教、大神官ハーゴンの教徒達が、そこで邪神降臨の儀式を行うと知ったんだ。僕たちはそれを止めたい」
「邪神教ねぇ。風のうわさには聞いていたが、そりゃいい気はしないな。よし、その辺に詳しい人の所に案内してやる」
「ありがとう!」
 三人は早速、男に案内されて村の奥へと進む。

 案内されたのは、長老と呼ばれる老人の家だった。
「海底洞窟。かつて我々テパの民が、天なる神竜様を祭るために使用していた洞窟なのじゃ。赴かなくなって久しいが、そうか……今は、その様な輩に悪用されておるのか。口惜しい事だのう」
 長く伸びた白い口髭を撫でながら、長老は苦虫を潰したような表情をする。
「詳しく聞かせて頂けますか」
 セシルが先を促すと、長老は頷いて話を続ける。
「そうじゃの。取り返して欲しい、とまでは言わんが、その現状は好かぬ。まず、海底洞窟の場所じゃが……デルコンダル近海。地図を指せば――」
 言葉に反応し、アスは長老の前に地図を差し出す。その皺めいた指が示すのは、デルコンダルより南下した海面だった。目印になるものはない。
「このあたりじゃ。洞窟に入るために必要なものは二つ。月のかけら、そして水の羽衣じゃ。だが厄介な事に、入手にはどちらも相当骨が折れるぞ」
「どういう事ですか」
「まずは月のかけら。海底洞窟への入り口には強い結界を張ってあってな。月のかけらで解呪しなければ入れないのじゃよ。――それ、その窓から見えるじゃろう? 満月の塔と言うのじゃが、あそこに安置されておる。そして、あの塔へ行くには水門を開放し、川に水を流す必要があるのだが……」
 そこでふと、長老は表情を曇らせる。その様子に、セシルは不安げに先を促した。
「出来ないのですが?」
 セシルの問いに、答えたのはここに案内した男だった。
「ほら、さっきのラゴスだ。盗んでいったのがあの水門の鍵なんだよ」
「えー!」
「行先は十中八九ペルポイだ。おおよそ、闇市で売り飛ばす算段なんだろう。大粒のパールやらムーンストーンで、大仰に飾り立てた鍵だったからな」
「厄介だなぁ、もう」
 セシルが苦い顔をする横で、ルーナはげんなりとため息をつく。
「でも行先がわかっているなら、まだなんとかできそうね」
 それに頷いて、アスは長老に視線を戻す。長老は小さく咳払いした後、先を続ける。
「二つ目は水の羽衣。海底洞窟の中は溶岩の海なのじゃ。水の羽衣を着用しておらねば、火傷どころの話ではなくなる程過酷な環境でな。それを手に入れる術じゃが……難関が、織師のドン・モハメ。こやつが本当に気難しくてのう……気に入った者にしか仕事をせんのじゃ」
「もし、気に入っていただけなかったら」
「もちろん門前払いじゃ」
 長老は大変だぞ、あの男はーなどと苦笑しつつ、
「まずはモハメと話をしてみたらい。海底洞窟に関してはこれくらいじゃな」
「ありがとうございます。とても助かりました!」
 セシルは丁寧に礼を述べ、にこりと笑んだ。
「情報感謝する」
「うむ。うまくいくよう祈っておるよ。モハメの家は、その道を右に進んだ突き当りの平屋じゃ」
 アスは短い礼を残し、長老宅を辞した。足早の彼にセシルとルーナは慌てて礼を言い、その背を追い掛ける。
「ちょ、アス、待ってー」
 小走りで追いついたセシルが声をかけたが、アスは歩調を緩めずに、
「グズグズしていては間に合わなくなる。モハメに話を通した後、一刻も早くラゴスを追わなければならない」
「ん、まあ、そうだけどさー。足早いってば。ルーナ追いつけないよ?」
 その一声に気付き、振り返ればルーナがやっと追いついたところだった。
「待って、よ! もうー!」
 肩で息をしながら、ルーナは抗議してくる。
「すまない」
 アスは軽く謝り、歩調を僅かに緩めて道を進む。その素っ気なさに、セシルとルーナはもう一度顔を見合わせ、そして不安げにアスの背を見つめる。
 そんな視線も意に介さず、アスはドン・モハメ宅の扉を叩いた。ノックの後、ややってゆっくり開かれた扉。その薄暗い向こうから、いかにも気難しそうな顔をした初老の男がのそりと現れた。
「何だ」
「突然の来訪にて失礼する。貴殿が、織師ドン・モハメ殿だろうか」
「いかにも、わしはドン・モハメ」
「率直に申し上げる。貴殿に、水の羽衣を織っていただきたい」
「藪から棒になんじゃ。わしはもう水の羽衣など作らん。帰れ」
 モハメは不愉快をそのまま表情に上げ、扉を閉めようとノブを引く。セシルは慌ててその扉を手で押さえて、精いっぱいの笑顔を浮かべて取り繕った。
「お願いします。僕たち、海底洞窟に行くに当たり、水の羽衣が無いと困るんですー」
「海底洞窟だと……?」
 不愉快顔を今度は怪訝に歪め、モハメは僅かに扉を閉める手を緩める。その隙を付き、後ろにいたルーナもひょこりと顔を出して微笑んだ。
「お願いします。モハメさん」
「……!」
 その瞬間だった。モハメの表情がぱっと解れる。視線はルーナだった。
「……モハメさん?」
「……なんという。女神かと思ったわ」
 数秒の間を設け、モハメが口にしたのはそんな一言だった。ルーナはセシルと顔を見合わせる。セシルの目が、行け、とばかりにきらりと輝いた。ルーナは小さく頷いて、さっとモハメの前に進み出る。
「とても高名で、腕の良い職人さんだと聞き及んでおります。私たちはどうしても、モハメさんの作る水の羽衣が必要なのです。……お願い、できませんか?」
 心得たのかルーナは声を少し作り、可憐な仕草でモハメに頼み込む。
「むう……こんなべっぴんさんに頼まれるとなあ」
 モハメは揺れている。ルーナはもうひと押し、とばかりに飛び切りの笑顔で応戦する。モハメの鼻の下が伸びきった。
「よし! 解った。なら、お嬢さんの為にひと仕事してやろう!」
「わあ! ありがとうございます」
 ルーナは飛び切りの笑顔のまま、モハメの手を取り喜んだ。その後ろでセシルは小さくガッツポーズをとり、アスは妙な展開に嘆息する。経緯はともあれ、無事に依頼を引き受けてもらえることになった。――が、事はそう楽には進まない。
「さて。水の羽衣だが……それを織るには少し特殊な道具、聖なる織器とあまつゆの糸が必要でな」
「聖なる織器と、あまつゆの糸?」
「そう。あまつゆの糸は時々、ルプガナ海峡にあるドラゴンの角で手に入り、ラダトーム経由で流通していたのだが……近年めっきり手に入らなくてな。そのせいで水の羽衣が織れず、海底洞窟に詣でる事も無くなってしまったんだよ」
「そうだったんですか」
 そこでセシルが、あ、と呟いた。何かと見れば、セシルはごそごそと荷物の底を探っている。そして、
「もしかして、あまつゆの糸ってこれ?」
 セシルが荷物から取り出したのは、以前ドラゴンの角で手に入れた謎の糸だった。その糸を見た瞬間、モハメはその目を大きく見開いた。
「……おお、おおおお!」
 そして大きな感嘆の声を上げ、興奮に震える手で糸に触れる。
「これ、これ、これだ! あまつゆの糸! これがあれば水の羽衣を織れるぞ!」
「やった、じゃあ――」
「うむ。今すぐにー、と言ってやりたい所なのだが、実は聖なる織器も無い。水の羽衣を織る事も無くなって久しいある時、ザハンの神殿に奉納してしまったのだよ。あれは、聖霊神ルビスの加護を帯びた聖なる織器だったのでなあ」
「ええー!」
 相次ぐ無い無いのパレードに、流石にセシルの表情も下がる。ルーナは深いため息とともに肩を落として首を振り、アスに至っては完全に表情が消えた。
 流石にバツが悪くなったのか、モハメはポリポリと頬を掻きながら視線を泳がせる。
「織器さえあれば、すぐにでも取り掛かれるのだがなあ」
「どうしようか、ペルポイに行く予定もあるし、そのついでに回って取ってくるしかないかな」
「時間がかかりすぎる」
「けど、それしか方法は無い訳だし……あ」
 移動に次ぐ移動の予定にげんなりしていた所で、セシルが決意した様に頷いた。
「ねえ、みんな。僕、ひとつやってみたい事があるんだけれど、いいかな」
「何?」
「ルーラを試してみたいと思うんだ」
「ルー……ラ?」
 ルーナはその言葉を反芻したのち、はっとした様に目を輝かせる。
「それって、一度行った場所であれば瞬時に飛べるという、伝説の呪文?」
「うん。前に五分五分って言ってたヤツ。ルーラならビュン、と一瞬だっていうし。だから僕ちょっと、モハメさんとザハンに行ってくるよー」
 ふふりと笑うセシル。若干の不安があるのか、ルーナは心配そうに尋ねる。
「大丈夫なの……?」
「何でも試してみないとね。と言う訳でモハメさん、今から僕とザハンに行きましょうー!」
「何だ、こやつは何を言っているんだ? どうなるんだ?」
「しっかりつかまってて下さいね。離したら異空間に取り残されちゃうから」
「ちょ、待、やめろッ」
 セシルは未知の恐怖に嫌がるモハメを屋外に引き摺り、早口で呪文を唱え始める。二人の身体が軽く浮遊したあたりで、セシルは爽やかに笑み、
「それじゃ、行ってくるねー。……ルーラ!」
「ああああぁぁー――」
 セシルが呪文を解放すると、二人の身体は重力に逆らいビュン、と飛び上がりフッと消えた。モハメの悲鳴は残響となり、空中に吸い込まれていく。
「……無事に行けたかしら」
 ぼそりと呟くルーナの隣で、アスは腕を組む。
「無事を祈る。……モハメの」
「セシルの無事も祈ってあげて」
「ああいう時のセシルは無敵だ」
「……ぷっ。そうね」
 ルーナは吹き出し、モハメ宅にあったガーデンセットのベンチに腰を下ろした。
「考えても仕方がないし、とりあえず成り行きを待ちましょうか」
「そうだな」
 ルーナの向かいに腰かけ、アスは一息つく。予想外に多い情報を処理する時間も欲しい所だった。
「ね。まさか、海底洞窟に入る、その準備だけでこんなに大変だとは思わなかったわね」
 ルーナに言われ、アスは姿勢よく座っていた足を組んで半眼になる。
「ああ。正直に骨が折れる案件だ」
「そうよねえ。せめて、あの時あそこでラゴスを押さえられていたらもっと簡単だったのに。悔しいわね」
「あの時点では解らなかった事だ」
 ルーナはふ、と小さく息を抜いて、それからアスをじっと見た。その視線に、アスは目を向ける。かちりと合い、不意に見つめ合う形になった。
 ふ、と、二人の間を柔らかな風が吹き抜けた。ふわりと彼女のハニーブロンドが揺れ、微かな甘さを運ぶ。ポピーレッドの瞳を縁取る長い睫毛が、まばたきのたびにきらりと陽の色を反射する。
 意図せず見惚れた。小さく跳ねた鼓動を耳の奥で聞く。
 ルーナはそのままアスを見つめた後、そのくちびるを開く。
「アス。最近、元気?」
「どうした、急に」
「うん……少し、気になって」
「別に、変わりはないが」
「そうかしら」
 ルーナは僅かに首をかしげ、こちらを見つめるその瞳に慈しみの様な色を浮かべる。
「何かあるなら力になるわ。辛くなる前に話して」
 アスはそれに答えず、軽く目を伏せて視線を外した。その態度に、ルーナは小さく嘆息したようだった。
 会話の終わり。ルーナはこちらから視線を外すと、荷物から魔導書を引っ張り出す。気を取り直すように声を張り、
「さーて、私も研究頑張らなきゃ。セシルに負けてられないわ」
 そして魔導書を開き、彼女は次第に没頭していく。
 伏せていた視線を戻し、本の中に入り込む彼女をもう一度見た。気取られる程、今の自分は冷静ではないのかと思うと苛立ちも増す。自分でも何故、ここまで沈鬱な気分に陥っているのか理解できない。
 いつから――ルーナを見つめながら考え、不意に思い出したのは何故か、デルコンダルでシュゼット王女と共にした夜だった。
 あの強い虚しさがどこかに穴をあけたのか。思い出す程に虚脱感しかない。
 ずっと以前、同じようなシチュエーションでルーナに迫られた時は、もっと違う何かが胸の奥を捉えた。
 もしあの時ルーナを抱いていれば――彼女はどんな顔で、どんな声が聴けたのか。妙な事を思った時、気づいた。さらりと流れる絹のような髪ではなく、本当に触れたいのはずっと、あの髪。生気の薄い儚い瞳ではなく、本当に見つめられたいのはあの瞳。あの細い腕はどう絡むのか、足は、あの白く小さな爪先は――目の裏にちらついた勝手な幻想に、妙に気分が高揚して動揺する。
 こんな事を考えていると知れば、彼女はどう思うのか。幻滅、失望。
 ルーナには何度も触れたいと思いながら、それでも自制して触れずに来た。それはなぜなのか。何に遠慮していたのか、そうしなければならなかった理由は何だ。
(セシル)
 それに至った瞬間、冷や水を浴びたように目が覚めた。セシルに向かうのは強い嫉視。信頼における、己にとって唯一無二の相手だというのに。
 こんなに浅ましい欲に支配される瞬間が、いまだかつてあっただろうか。あり得ないほどの嫌悪感に苛まれ、今すぐに飛び出して何かに当り散らしたい程膨れ上がる謎の衝動を必死で押さえる。
 ――屑だ。
 アスは、視線をルーナから切り離す。
 ルーナは、何も知らない顔で必死に魔導書と格闘していた。
 セシルがモハメと、聖なる織器と共に戻ってきたのは、それから小一時間が過ぎた頃だった。




◆    ◇    ◆    ◇


 モハメに水の羽衣を託し、一行はペルポイに向けて船を出していた。航海は滞りなく進む。
 その心地よい潮風にそよがれながらも、セシルは渋面だった。
 いつもはルーナが気に入って座っている酒樽を陣取り、セシルはジッと、甲板の手摺にもたれて遠くを視ているアスを観察する。今日は珍しく何もしていない。止まったら死にそうな程動き続けている彼にしては、珍しい事だった。
(なんだろうな……あの感じ)
 渋面で、腕を組む。どうしても胸の奥がもやもやする。
 ムーンペタを出たあたりから少し、様子が変わったと気付いた。けれど、本当はもっと前から? 何気なく上からつま先まで見て、ふと気づいた。
「やっぱりない」
 そう言えば、いつからか。アスは、肌身離さず身に着けていた、母君の形見だと言っていたあの短剣を身に着けなくなった。デルコンダルを出立した時に気づいたけれど――何せ、彼の背中を護る役目を仰せつかっている訳で、彼の背中の事は誰よりも知っている――特に深く気にしていなかった。理由あって、荷物に納めているのだと思い込んでいたけれど。
(まさか手放した)
 思い至り、首を振る。あり得ない。あんなにも大事に手入れして持ち歩いていたものを、そう簡単に手放す訳がない。けれど、あれ以来目にしていないのも確かだ。
(本人に聞くのが一番早いんだろうけどなぁ)
 胡坐をかき直し、片肘を付いて顎を支えながら改めて、アスを見る。
(話しかけにくいんだよねえ……最近)
 鼻から息を抜き、半眼になる。微妙に避けられている気がするからだ。僅かに思考の間を設けた、その時。
「あっ、私の席ーっ!」
 そこで声を掛けられ、視線を下すと両腕を腰に当て、頬を膨らませたルーナがいた。セシルは破顔して両手を合わせる。
「んはは、ごめん。丁度良くて借りてたよー」
「んもう。そこ、見晴らしも良くて、丁度いい日陰で、魔導書を読むのに最適な私の場所なの。断りなく使わないでよね」
「はいはい、ごめんなさいお姫様ー」
 セシルは適当に謝りながら酒樽を降り、小走りで逃げた。ルーナはふん、と息を抜いた後、笑ったみたいだった。セシルはそんな彼女にひらりと手を振り、決意する。こうやって悩むのは性に合わない。
 その足で、アスの傍に向かう。大分近づいたところで、アスは視線をこちらに寄越してきた。セシルは右手を小さくあげ、にこりと笑む。
「やっ。元気?」
「元気も何も。毎日顔を合わせているだろう」
 さくっと返ってくる。この感じはいつもと変わらない。セシルは肩を竦めた後、アスの隣に入り込む。手摺に背を持たれて体制を整えた後、聞いてみた。
「ねえ。変なこと聞いていい?」
「何だ」
「アス。母君の形見の短剣、どうした」
 一瞬、アスの表情が凍ったのをセシルは見逃さない。アスはすぐにいつも通りの顔を取り繕い、
「手放した」
 一言、簡単な答えを寄越してきた。セシルは流石に驚いて、目を見開く。
「どうして。あんなに大事にしていたのに」
「事情が変わった、それだけだ」
 そして、それ以上の追及を避けるように口を噤んだ。
「……ふーん」
 セシルは納得できない。それ以上の追及は控えたが、不満の残る返答にますます胸がもやつく。とりあえず何かあるのは明白だと察したので収穫、今はここでやめておく。
 しばらく途絶えた会話。それでも去らずにアスの横に居座ってみると。
「……セシル」
 ぽつりと、アスが呼んだ。
「うん?」
 視線は海のまま、先を促してみる。しかしアスはそれ以上を継がなかった。微妙な沈黙を越えて、ようやく口にした言葉は。
「――悪い、何でもない」
 溜めてそれか。内心転びそうになったが、顔には出さない。アスはそのまま手摺を離れ、船室の方へと歩いて行ってしまう。
「……」
 ぽつりと取り残され、セシルはますます渋面になる。
 やはりなにかおかしい。



3へつづく
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2006.12.07開設

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Author:愛琳

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