LEVEL:20 愛しい貴方たちに、光のあらんことを



   LEVEL:20 愛しい貴方たちに、光のあらんことを

 アスは動揺していた。
 霧をまとう城壁のシルエットは、幾度となく目にしたそれと酷似している。
「――ローレシア」
 今し方確かにハーゴンの神殿、入り口の大扉を開けたはずだった。だと言うのに、目の前に広がる光景はローレシア城内そのもの。加えて、両わきにいたはずのセシルとルーナも忽然と消えた。独りを意識し、全身に冷や汗がにじむ。
 この状況は考えるまでもなく、ハーゴンのまやかしでしかない。何のつもりなのか。消えた二人が気がかりだが、まずはこの状況を打開しなくてはならない。気を引き締め、城内へと進む。
「アスティア殿下、御帰りなさいませ」
「陛下が奥で御待ちになって御座います」
 持ち場に立つ兵士たちからそれぞれに声をかけられ、視線で頷き、アスはよく見知ったその道を進む。どこもかしこも見覚えがあった。ここは、紛れもなくローレシアだ。兵の配置も、人々も。違うとすればそれぞれが不自然に笑顔で、アスの帰還を迎えていた事くらいだろうか。王に会えば何か解るのか。迷うことなく正面の階段を進み、玉座の間へと続く扉の前に立つ。一呼吸整えると、衛兵が頷いてその扉を開け放った。
 奥の玉座におわすのは、間違いなくローレシア王その人だった。王はアスの姿を認めると、やんわりと微笑んで玉座を立つ。
「おお、よくぞ戻った、アスティア!」
 アスはその、慈しむような声と表情にどきりとして立ち止る。王がこういった表情を向けてくれたことはかつて無かった。
「陛下、これは……私は、ハーゴン討伐の為、ロンダルキアへ赴いたはずなのですが」
「ハーゴン? 何を申しておるのか解らぬな。そなたは勇者の泉で、成人の洗礼を受けて戻ってきた所であろう?」
「成人の洗礼?」
 記憶と話がかみ合わず、アスは言葉を失う。ローレシア王はそんなアスを訝しむ様に覗き込んだのち、破顔する。
「まあ、無理もないだろう。道中はなかなかに険しいのでな。今夜は存分に身体を休めるがいい。しかしまあ、よくぞ耐え抜き、これ程までの修練を積んだものだ。誇りに思うぞ、アスティア」
 大きな掌が、ゆっくりとアスの肩に触れる。その行動に驚愕し、アスは慌てて身を引き跪く。
「――身に余る光栄、恐縮に御座います、陛下」
 意図せず湧き上がる恐悦と歓喜に胸が締め付けられるようだった。必要以上に小さくなっていると、王は不思議そうに目を細めて、
「どうした、今日は随分と他人行儀だな。いつものように父上と呼べばいいだろう」
 王は目を眇めて笑い、アスの髪をくしゃりと混ぜた。恐怖すら胸の中に宿る。こんなのは、己の知るローレシア王ではない。まして、陛下と呼べと仰せになられたのは王その人だったのに。絶対に違う。しかし、目の前の対象が絶対である故か、何の対処もできずに小さく震えていると、
「お帰りなさい、アスティア」
 今度は聞き覚えのない、しかしひどく懐かしい響きの声が耳の奥を捉えた。恐る恐る視線を向ければ、そこにいたのは、肖像画でしか見た事のなかったはずの顔が――深い海のように青い瞳と、カラスの羽根のような美しい黒髪。しゃらりとドレスの裾を揺らしながら、しずしずと近づいてくる。
「母……上?」
「そうでしょう。どうしたの? まるで初めて見るような顔をして、可笑しな子ね」
 ふふ、と優美に微笑んで、女――母は王が僅かに避けた場所に進み、その両腕を差し出し、その両手がゆっくりと自分の頬を包み込む。触れたその手は、ひどく暖かかった。
「知っていますよ。毎日、血のにじむ思いで修練していた事を」
 幻だ、こんな記憶はどこにも無い。何を見せられているのだろう。ああ、それでも。生温い幸福感に包まれて崩れ落ちそうになる。いきなり注がれた温もりに、視界がゆがむように揺れる。これは喉から手が出て血が滲みそうなほど、渇望していた温もり――愛情。
 ずっと、頭の片隅でガンガンと鳴り響いている警鐘。しかし気づけばそんなものはいつの間にか気にならなくなっていた。まるで脳髄に甘美な薬を与えられたかのように、思考が何かに飲まれていく。ずっとここにいたいとまで思った。そうしたら、なにか大事なことが欠落し始めているような――高鳴る鼓動、その不穏さに目を眇め、不意に、誰かに呼ばれたような気がして振り返る。
「どうかしたの」
 急なそれに、母が不思議そうに首をかしげた。アスは取りつくろうように薄く笑む。
「いえ――何でもありません」
 この生温い湯のような心地よさが、永遠に続けばいいとすら思った。父と母がいて、優しいまなざしの愛情が降り注ぐ、陽だまりのような暖かいこの場所。
「さあ、いらっしゃいアスティア」
 そして出された手を取ろうとしたその、寸前だった。
「アス、しっかりするんだ!」
 今度ははっきりと響いた声、瞬間、景色が割れた鏡のようにばらばらと崩れ落ちていく。一度瞬きすると、景色が一気に鮮明になる。そして見たそこは、ローレシアとは全く異なる空間だった。
 理解が追いつかず周囲を見回して、掴みかけた温もりがなくなった空虚に絶望すら感じながら、
「一体、何が」
 やっとの思いで、呟いたその声は乾いていた。視線を定めた先には、ルビスの守りを掲げて厳しい顔をしているセシル。
「目が覚めたかい、アス、ルーナ。君たちが見ていたのは幻覚だ」
「幻覚」
「この神殿に足を踏み入れた途端、ハーゴンの強力な術が降り注いだんだ」
 次第に頭が覚醒し、悟る。悟ると何故か視界がぼやけた。随分と涙腺が弱くなったものだ。手の甲で拭きぬぐうと、同じく泣き濡れていたルーナと目が合う。
「……酷い、ものね」
 スン、と静かに鼻をすすり、ルーナは暗い眼をぎらつかせて視線を動かした。その先にいた者は――。
「甘美な夢に、囚われたままでおればよかったものを」
 しゃらりとローブの衣擦れを響かせながら杖を下げ、こちらを見下す冷たい視線。その色を見た瞬間、アスは思わず息を止める。その氷点下色の双眸は、まるで鏡越しのように――
「全然違うよ。君の目の奥には熱い血が通っている事を、僕は知ってる」
 動揺を見透かすようにセシルが強く言う。そして、
「再会を嬉しく思うよ、大神官ハーゴン」
「セシル・レオン殿下。私も嬉しく思う。あの呪いでも命を落とさず、よくぞここまで」
 ハーゴンは喉の奥で笑った後、僅かにその目を眇める。それは、アスの携えていた稲妻の剣に向けられていた。
「懐かしいものを。ロンダルキアの奈落に落としたと思っていたが、貴殿が拾うとは。運命とは数奇なものだ」
 アスは視線で疑問符を投げつける。ハーゴンは表情を変えぬまま、
「その剣は、貴殿が持って生まれるはずだった魔力そのもの。ベティーナ王妃が腹にいる貴殿から奪いつくした魔力の結晶だ」
「――」
 アスは手にした剣を見つめて絶句する。まさか、と、納得の様な感情が綯交ぜになって胸をざわつかせる。初めて手にした時の感覚を思い出す。この剣が、恐ろしいまでにしっくりと手に吸い付いた訳を、ここで知る事になるとは思いもよらなかった。ハーゴンは無感情な顔のまま続ける。
「そなたが生れ落ちる前に事を済ませた王妃は、その結晶を私に放って寄越した。魔力のない王子が生まれれば、さぞ面白い事になるだろうと、すべてを呪う声で嘲笑った。そして王妃は王子を産み落として命を散らし、私は罪を着せられてロンダルキア牢獄迷宮に投獄されることとなった。
そして私は皮肉にも、王妃の寄越した魔力の結晶を剣に変えることで、ロンダルキア迷宮で生き長らえる事が出来た。……道中で落としてしまったがな」
 呟くように語った後、ハーゴンはどうでもいいとでも言いたげに肩を竦め、表情を改める。
「ロトの血など忌々しいものだ。この負の連鎖はいつかどこかで断ち切らねばならぬ。ならば、この私が引導を渡してやろう!」
「そうはさせない! たくさんの過ちを犯そうとも、今生きている者の生きる権利まで奪う事は出来ないはずだ!」
 セシルのそれに、ハーゴンは鼻でせせら笑うようにローブで口元を隠し、踵を返す。
「神殿の最上階にて待つ。私が破壊神を呼び出すのが先か、そなたらが辿り着くのが先か――。どちらにせよ、貴殿らには破壊神の糧となる道しかないのだが。精々、足掻いて見せよ!」
 言い終わるや否や、ハーゴンは霧のように姿を消してしまう。
「絶対に阻止して見せる」
 シン、と落ちた静寂の中で、唸るように言うセシル。その横で、ぽつりとルーナが呟いた。
「……何故、セシルはあの術で、無事だったの」
 先程の幻覚の事を言っているのだろう。受けたセシルは苦笑したのち、
「幸せだからじゃない? こんな状況だけど、僕は今が一番幸せだから。幻覚なんて何も見えなかったよ」
 そう言い切り、セシルはウインクして見せる。アスは言葉に詰まり、ルーナは、
「貴方らしいわね。……ありがとう、お陰で助かったわ」
「むしろ甘美な夢とやらを、途中で無理やり引き裂いてごめん」
 襟元を口に当て、静かにセシルが言う。
「夢は夢だ。そんなものより、俺は現実を受け入れて先に行く」
 そう、現実はここだ。それ以上は無い。ハーゴンを倒し、セシルとルーナと生きる世界を護る。己にとって一番欲しいのは、そちらの現実以外に無いはずだ。
「それを聞けて良かった。じゃあ、先に進もう!」
 頷いて、セシルは抜いたままのロトの剣で階段を示す。ルーナは杖を胸元に抱き寄せ、頷いた。アスは顎を引き、兜の庇を下げる。ブルーメタルの鎧を身に着けたアスの背に揺れるのは、真紅のマント。希望の旗のような揺らめきが神殿の城壁に冴える。
 晴天に染め上げられた雪原。吹き上げる風に舞い散る雪の中に、天に仇なす双塔の神殿。荘厳な外見に反し禍々しいまでの邪気。明らかに人の領域ではない気流が立ち込めるその内部を、三人は駆け抜けていく。



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